イタリア系アメリカ人ジョー・タコピーナがセリエAに来たのは2011年。アメリカ人投資家グループがローマを買収したシーズンに、トーマス・ディベネデットが会長になり、彼が副会長に選ばれた。1年後に既定路線で2人とも辞任して、代わりにオーナーになったのがジム・パロッタである。あれから10年近く経ち、当時の首脳陣はローマに何を感じているのだろうか?今回はタコピーナのインタビューをお届けしたい。ハートがなければ、お金があっても成功しない、その通りである。
あなたとディベネデットは現在も連絡を取り合っているのでしょうか?
タコピーナ「私とディベネデットは2011年にローマに入り、その後パロッタに道を譲った。しかし、現在ではもうディベネデットとは連絡はとってないんだよ」
パロッタはローマで良い仕事をしたと思いますか?
タコピーナ「彼がローマで良い仕事をしたかどうかを判断する方法が一つだけある。それは勝ち取ったかどうかだ。スクデット、コッパ・イタリア、またはヨーロッパリーグがどうだったのかを考えれば、残念ながらそれらは到着しなかったので、パロッタ時代を成功とは言い難いだろう」
パロッタはローマを去ってからTwitterでロマニスタとやり取りをしています。あなたがもしもローマの会長なら、このようなコミュニケーションを取りますか?
タコピーナ「いや、しないね。特にジムのようにはね。問題は彼が優れたコミュニケーターじゃないということなんだ。なぜ今になってファンとやり取りを始めているのか理解できないな」
ローマに行こうと思った理由は?
タコピーナ「父はローマ生まれのロマニスタなんだ。はじめてオリンピコに入ったとき、これまでの人生で感じたことのない何か···、言い表すことのできない情熱を感じたよ。この特別な気持ちを最初に話したのは友人で弁護士のジャンルカ・カンバレリで、彼に頼んでプロジェクトのロードマップを作った。ローマとの契約が決まった日は、父も誇りに思ってくれたので忘れられない日となったんだ」
いつかローマに戻るアイデアはありますか?
タコピーナ「私の血はジャッロロッソで、心は常にローマにある。しかし、今はカターニアでの重要なプロジェクトに集中しているんだ。それでもローマはいつも頭の中に残っているよ」
パロッタとは連絡を···
タコピーナ「ノー」
パロッタとファンが衝突したのは、イタリアとアメリカの文化的ギャップに理由があるのではないでしょうか?
タコピーナ「私はイタリア系アメリカ人だが、文化の違いを知り、尊重もしている。それを受け入れ、リスペクトするものだと思うよ。パロッタがロマニスタと衝突して、彼らをバカ呼ばわりするのを見て私は気分が良くなかった。それは即ち、自分が働いている都市であり、国の文化を尊重していないということだからね。それではいくらお金を持っていたって成功するわけないのさ」
〈了〉
アメリカのローマ人、タコピーナの言葉はロマニスタを代弁しているとも言えるし、同時に国際的な企業のレペゼンに必要なものを伝えているようにも思える。彼はローマを去った後にいくつかのイタリアンクラブの運営に加わり、もうじきカターニアの会長にならんとしている。
先日セリエCで行われたパレルモとのシチリアダービーに彼の姿はなかったが、タコピーナはカターニアのファンに向けて、なぜ自分がスタジアムに行けないのか、どれだけ熱意を持ってカターニアを所有する為の仕事に取り組んでいるのかをメディアを通じて発表した。人に好かれるというのは、つまりはこういうことなのである。
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