旧ローマ速報2014年2月の記事で、ぼくが特に好きなエピソードを再掲載します。ミハイロヴィッチがサンプの監督で、ローマと対戦する前のインタビューです。このころはずっとトッティとミハイロヴィッチとは確執がありました。ちなみにこの時の試合はデストロのドッピとピャニッチの得点で勝利しています。
ローマ戦について
ミハイロヴィッチ「選手たちには、こういった大きな挑戦の際もサンプドリアらしいプレーをしようと話したよ。そうすれば勝利はより俺たちに近づく。カウンターで戦えばそれなりにローマを混乱させることもできるだろうが、俺は正々堂々とオープンゲームがしたい。試合後に後悔したくないし、選手たちにも後悔させたくないんだ。確かにローマはサンプより上に居るよ。だからって挑んじゃいけないってことはない」
トッティとの確執について
ミハイロヴィッチ「ずっと口もきかなかったが、その間も友情はあったと思うね。そもそも俺の引退試合に来なかったのはアイツの方だ。オファーしたのに連絡ひとつよこさなかった。俺はリスペクトの精神を重んじる男だ。ただし今は関係も修復されたよ。ゼマンが率いたシーズンにローマに表敬訪問したんだ。トッティもいたけど、俺は遠くから眺めてただけさ。そしたら奴は俺に近づいてこう言ってきやがった。「誰の許可で俺の家に来てるんだ」ってな。だからこう返したよ。「なんでてめえの許しが必要なんだ?俺はやりたいようにやるだけだ」って。…そして俺たちはハグしたのさ!俺はトッティを史上最高のイタリア人選手だと思ってる。バッジョやリヴェラ以上のジョカトーレさ。トッティがいるいないじゃローマはまるで別のチームだ。俺はあいつがこれからも長くプレーして、ワールドカップに出れたらいいなって思ってる。だってあいつは偉大なカンピオーネだからな」
ぼくはミハイロヴィッチが大病を患った時も、徹底して取り上げなかったのですが、それは順序としてまずローマ速報ではないだろう、と。最も悲しむべきはドリアーノやラツィアーレであって、彼らが誰よりも大きな追悼の意を示す資格がある。これはサッカー選手に限らず、例えばマイケル・ジャクソンが亡くなった時も、ほんと社会現象的に彼の死を悼む声があり、それだけ影響力のある人なのだということは大前提として、マイケルのファンや近親者が最も悲しいのだとしたら、ぼくは「むちゃくちゃ悲しいです」みたいなことはちょっと我慢したいなと思うわけです。
大瀧詠一が亡くなった時、山下達郎が「いろんな人が大瀧さんについて話をしたけど、本当にその資格があるのは自分だと思う」と言っていて、その資格という序列がミハイロヴィッチに当てはまると思うからこそ、今回の訃報は驚いたけど、悲しい言葉はもうちょっと後にしておきたい。ぼく以上に資格のある誰かが悲しみ終わったあとでも遅くはない。
そもそも、ぼくがロマニスタになったばかりのころ、ミハイロヴィッチはビアンコチェレスティで、常にぼくの愛するクラブに毒を吐くむかつくアイコンだった。時に美しいフリーキックを決め、ローマを煽る存在だった。だからぼくにとってもう少しだけ彼は『ラツィオのくそ野郎』のままだ。
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