先日トッティの自伝『キャプテン魂』が発売されました。これが、人生のバイブルとしてもう何十回と読み返しているバッジョの自伝を秒で超えてしまったのです。
これから100億回読みます。それまで100年くらいローマ速報は休みますね。
なによりカピターノの一人称が「俺」なのがとてつもなく素晴らしい。 pic.twitter.com/s8pm31qntk
— ASローマ速報⚡ ROMANISMO official (@roma_sokuhou) March 11, 2020
このツイートをご覧になられた方はこう思われたかもしれません。何更新してんだよ、100億回読んだのかよ、と。まあ、正直、これはちょっと信じてもらえないかもしれませんが・・・100億回読みました!
ものすごく不思議な気持ちというか、読んでいる時間がなんだか特別で、読み返したとき、その時間だけがまだふわふわと宙に浮いているというか、夢を見ていたような、そんな気持ちになり、トッティの影響力を改めて知った。ということで、旧ローマ速報サルベージ企画として、トッティのプレーに焦点を当てた非常に珍しいインタビューをご紹介します。自伝を読んだ方(100億回くらい)は、ああ、ここの話ねとなるでしょうし、まだ読んでいない方は軽い予備知識に役立つと思います。自伝では、紙媒体に残るからか、時間が経ったからか、多少細部が良い思い出になっていますが、本とはまた少し異なる、現役選手目線の言葉もあったりして、これがまた人間味を感じられて面白いです。以下、旧ローマ速報より。元々古い記事なので、至らないところがあってもはご容赦ください。
――サッカーについて話してもいいかな?
トッティ「むしろそれ以外、俺に何を話せって言うんだい?」
サッカーの申し子、フランチェスコ・トッティは12歳でローマにやってきた。そして、1993年にセリエAデビューして、その偉大なキャリアを踏み出した。才能溢れる若者はセカンドストライカー、またはアタッキングミッドフィルダーとしてプレーしている。このインタビューは2015年、まだ彼が現役の頃のもの。今ではなかなか聞けないストライカーとしての心構えや、キャリアについて話している。
トッティ「俺が駆け出しの頃のローマって、前線に多くのストライカーがいたよ。アベル・バルボだろ?あと94年にはダニエル・フォンセカもやってきた。その頃の俺は、ゴールのお膳立てをするのがとても好きだったね。自分の仕事は出来る限り多くのアシストをする事だって思ってた。自分で得点するよりもそっちの方が好きだったのさ」
――しかし、ゼーマンがやってきて、あなたのポジションはトリデンテ(3トップ)の左になりました。
トッティ「その通り。あれは監督のシステムに基ずいたコンバートだった。全員がよりチームとして戦う必要があったけど、俺の仕事は基本的には変わらなかったね。サイドから起点となって敵を叩いた。この2シーズン、本当に楽しんだよ」
――次のカペッロはあなたをより前でプレーさせた。
トッティ「2001-02以降、カペッロさんは俺をカッサーノやバティストゥータの側でプレーさせるようになった。すぐにこのポジションが俺の『家』だって感じたよね。高い位置でプレーすることでより多くのアシストやゴールを決める事が出来るんだ。すぐに気にいったよ。スパレッティ監督が来ると俺の役割は一変したけどさ」
――何が変わったのでしょう?
トッティ「システムそのものが全然違ったと思うよ。カペッロさんの時は、俺とカッサーノは一応はストライカーでありつつも攻撃的な中盤でもあった。その位置で自由に動ける権限を得ていたね。スパレッティ監督になると4-2-3-1で、俺は完全なセンターフォワードになった」
――あれは発明でしたね。
トッティ「自分にセンターフォワードの資質があるなんて当時思わないからね。想像した事すらなかったからさ。だから、あのポジションが上手くいって本当に良かった。スパレッティ監督のおかげでピッチで自由で居られたんだから。キャリアを通じて最も最高のポジションだったな」
――もう一度最初からやり直せるならセンターフォワードを選びますか?
トッティ「選んでいいならそうするよ」
――ところであなたはキャリア通算80以上のPKを蹴っています。多くの人がこう思っています。「またキーパーの右を狙うんだろ」って。
トッティ「一般的にインステップで強いシュート狙うのが楽だと思うよ。まあでも、俺は他の方法でも決めてるけどね」
――例えばどのような?
トッティ「アーセナル戦のPKは右のアウトサイドで強く当ててキーパーの左を突いた。これは言うのは簡単だけどやるのは難しいよ。ミスったら客席に飛んじゃうからな」
――後はEURO2000のクッキアイオ(チップキック)とか。
トッティ「ああ、それを忘れてた!」
――トレーニングでPKの技術を向上させるのは可能ですか?
トッティ「ノー。多くの人たちがリゴーレは簡単だ、決めて当然だって話すけどさ、試合と練習は全くの別物だよ。試合では物凄いプレッシャーがあるんだ。練習よりもゴールだってもっと小さく見える」
――どうやって蹴り方を選ぶのでしょうか?
トッティ「ボールをセットして、審判が笛を吹く間に幾つかの選択肢を選ぶ。どうしよう、こうしよう、そうやってたくさんの蹴り方を考えてしまうと心は定まらない。ペナルティキックは基本集中力の勝負だ。ひとつの方向にしっかり決めるという気持ちが大事なんだよ」
――クッキアイオについて再度お聞かせ下さい。あれはキーパーの虚を突く為なのか、それとも観客を喜ばせる為のどちらなのでしょうか?
トッティ「本能だろうな。最も重要なのはボールがゴールに入る事なんだ。蹴り方によって必要なテクニックは違うけど、俺は本能で何も考えずにやる」
――初めてクッキアイオを蹴ったのは?
トッティ「2000年5月(99-00シーズン)のボローニャ。キーパーはジャンルカ・パリューカだよ。あれはユーロ大会のデモンストレーションになったね。あの時、色々ちょっかい出されたりして俺はちょっとイラついてた。でもクッキアイオはあくまで単なるペナルティキックさ。別にキーパーを愚か者にしたくてやるわけじゃない」
――あなたのもうひとつの得意技はループシュートです。
トッティ「完全にトリッキーだよね。大事なのは力加減と、キーパーがどれだけラインを離れているのか見る事かな。いつ蹴るかはそれこそ直感だよね」
――あなたが最初にループシュートを決めたのは97-98シーズンのパルマ戦です。
トッティ「覚えてる覚えてる。ジャンルイジ・ブッフォンだろ?俺はスルーパスに抜け出してドリブルで2人剥がした。ブッフォンは前に出てきていて、俺はあいつがそのまま下がらなかったら浮き球に挑戦してみようって思いながら走っていた」
――しかも左足で。
トッティ「そう、左足だったな、あれ。なぜだか知ってるかい?」
――ぜひ、教えて下さい。
トッティ「あまり考えずに蹴ったからさ(笑)」
――左足のプレーを改善する為に何か特別な事をしましたか?例えばチームトレーニングの後に居残り練習をしたりだとか・・・
トッティ「いいや。ユース時代に両足の使い方を教わったきり。あとは自己流だね」
――トレーニングと比較して、才能はどれほど必要なものでしょう?
トッティ「そうだな、50%50%なんじゃない?フォームを保つにはトレーニングが必要だけど、多くの場合フィジカルよりもメンタリティが重要でもあるからな」
――あなたのプレーは、どこまでが本能で、どこからが考えられたものなのでしょうか?
トッティ「全て本能だね」
――本能であれば申し訳ないのですが、あなたがボールを持つ時、前線のチームメイトの事を考えているとは思えません。
トッティ「きみもあまり考え過ぎないことだね(笑) 例えばさ、俺のやり方を知ってれば、周囲はどう動いたらいいのか分かると思う。俺だって、自分みたいな選手が後ろにいたらどこに走ればいいか理解できるさ。かつてのシモーネ・ペロッタみたいにね。あいつの強みは、低い位置から俺のやることを予測して走る能力なんだ。だから、俺とシモーネとは一緒にプレーするのが簡単だったよ」
――ご自身の好きなゴールパフォーマンスは?
トッティ「親指を咥えるやつさ。いまや俺のトレードマークだし、もう変えない。2005年のキエーヴォ戦で始めたんだ。あれってさ・・・聞きたい?」
――ええ。ぜひ。
トッティ「正直言うと、昔イラリー(トッティ夫人)が指をしゃぶる癖があってだね、だから俺、ずっと彼女の真似したいと思ってたんだ。元ネタはそれだ(笑)その後は、妻と二人の子供に捧げるゴールパフォーマンスになった。イラリーとクリスティアン、シャネル、3人のね」
――決められなかったけど決めたかったゴールはありますか?
トッティ「えー、難しいな。ちょっと考えさせてよ。・・・そうだな、97-98シーズンのユヴェントス戦で、アンジェロ・ペルッツィに止められたシュートだろうな。至近距離から二度打ったのにダブルセーヴされた。あれは本能で止められた。今でもハッキリと思い出せるよ」
――もうひとつのトッティの代名詞、ヒールキックについて話しましょう。あなたはとにかくピッチのあらゆる場所でこのテクニックを使いました。
トッティ「あれは見た目にも技術的にもとても難しいんだ。でも俺は結構得意だね。インステップで蹴るよりも、アウトサイドで叩(はた)くか、ヒールで出す方が簡単だ」
――ですが、あなたにはまだバックヒールによるゴールがありません。
トッティ「いや、正直なところ「よーし今日はヒールでゴールを狙うぞ」なんて思ったりはしないさ。そもそもキャリア通じて滅多に起こるわけでもないし、それならしっかりゴールに向いて打ちたいね。かっこいいからバックヒールで決めたいなんて考えない事だよ」
――キャリアを通じて一番厄介だったディフェンダーは?
トッティ「特にいないね。試合中ずっと後ろから足を蹴り続けるような荒いやつは何人かいたけど」
――例えば?
トッティ「リカルド・ヴァリーニと言ってしまうのは簡単かな。彼はエンポリのホームゲームで俺を蹴り続けた。本当に容赦なかったよ。開始からずっと俺をタイトにマークしてさ。そして俺の足は反対側に折れた。ヴァリーニは謝罪の電話を掛けてきたが、俺はそこでブチ切れてしまった。ただね、今では自分のその態度には反省している。怪我はサッカーに付き物なんだからな。俺が骨折したのは開始7分で、その前の6分間ずっと俺をイラつかせた。俺がこれまで対戦したどのディフェンダーよりも俺を怒らせた。例えばパオロ・モンテーロは止めきれない相手に対して削りに来る癖があったが、だからと言って試合中不快にさせられたりはなかったね。同じ事はトゥドル、マテラッツィ、カンナバーロにも共通する。彼らは皆、もっと肩の力を抜いてプレーしていた。必要なら適切なタイミングで止めにきたし、こっちも慣れてれば、避けてかわしたりできるものさ」
――ご自身の考えるベストパフォーマンスは?
トッティ「2003-04シーズンに4-0で勝利したユヴェントス戦。あの試合は俺とカッサーノでほとんどのパスを通した。でもちょっと待って。他にも良かったプレーはあるはずだ」
――例えば?
トッティ「うーん・・・・。2003-04シーズンのエンポリ戦だな。あれは中立地開催でパレルモで戦ったんだ。そこで俺はドッピエッタ決めた。ひとつはヘディングでもうひとつはチップキック。あれは結構良いプレーが出来たと思うね。てな訳だからさ、もっと色んな試合を検討したいよね。まあでも、今のところはその2試合かな」
――スクデットシーズンで一番好きな試合はどれですか?
トッティ「優勝が決まったホームのパルマ戦。もう何度も話したよ」
――その他にもうひとつ選びましょうか?
トッティ「オーケー。俺のベストプレーってこと?それとも俺の好きな試合?」
――あなたにとって重要な意味を持った試合です。
トッティ「2-2で引き分けたユヴェントス戦だろうな」
――中田英寿と交代させられたあの試合ですか?
トッティ「確かにあの試合は俺のベストには程遠い。しかし、あの試合がローマのスクデットを決定付けたという事実は無視できないね。加えて、シーズン中盤のパルマ、ボローニャの2試合も鍵となった。ボローニャ戦は出場しなかったが、ジャッロブルー(パルマ)は前半PKのチャンスがあって、俺はそれをポストに当ててしまった。それでもこの2戦は重要な位置づけだったと思う。エミリア(ボローニャ、パルマの州都)が終わった時、俺はこう思った。今シーズンは俺たちのものになるかもしれないって」
――トッティの名作3ゴールと言えば、2006年のサンプドリアのボレー、2001年のラツィオ、2005年のインテル戦のループですが・・・
トッティ「確かにあれはベスト3だね」
――それ以外でも選んで頂きたいのですが。
トッティ「キミはさぁ、もうちょっと事前に俺について勉強すべきじゃないのかね!そうだな、2001年のオリンピコのウディネーゼ戦かな。カフーのクロスにダイレクトボレーで決めたやつかな。(動画で確認している)な?そうだろ?」
――あなたが尊敬する、または似ていると感じる選手は?
トッティ「ガキの頃はジュゼッペ・ジャンニーニしか眼中になかった。間違いなく俺のアイドルさ。でも、今の俺とジャンニーニが似ているかと言えば、そうは思わないな。お互い異なる選手だよ。サッカーも今とは違うしさ。でも、俺は彼のプレーが好きだったよ。ローマのカピターノで、伝説だったからね」
――これまでのキャリアで最も助けられた言葉は?
トッティ「すべての人々に感謝しなさい」
――誰の言葉?
トッティ「両親。彼らはいつだって俺を助けてくれたよ」
――今までで最も酷かったピッチは?
トッティ「レッジーナのスタジアム。プレーできたもんじゃない」
――スタジアムのムードで言うと?
トッティ「ブレッシャとベルガモは賑やかな場所で良かった。とりわけ俺たちローマ人にとってはね・・・あ、いや、あともうひとつ、リヴォルノを忘れちゃいけないな。2007年の試合でリヴォルノの人たちは、試合の間ずっと俺の為のチャントを歌ってくれた。あれは感動したね」
――ヴィト・スカラ(専属フィジカルトレーナー)はあなたにとってどのような存在なのでしょう?
トッティ「俺が今まで成し遂げて来た大部分はヴィトのおかげだよ。俺の体のあらゆる面をリカヴァリーしてくれる。そういった人物がいるのは、サッカー選手としたら結構重要じゃないかと思うね。ヴィトは本当に俺をいつも助けてくれる。俺の体のあらゆるスイッチをオンにしてくれる存在だ。俺の兄弟だよ。俺より年上で、昔よりちょっと老けちゃったけどな」
――ご自身のスタイルで、イタリア以外ならばどこのリーグがフィットしそうだなとかありますか?
トッティ「そりゃもう間違いなくスペイン」
――レアルマドリーからオファーがあったからそう言ってるんですか?
トッティ「違うよ。俺のプレースタイルとスペインのサッカーは似ているんだ。プレミアやセリエと比べて、よりフィジカルよりテクニックが重要視されてる。エンターテイメントなんだよな。選手がスキルを見せたら観客は拍手を送るだろ」
――そう、あなたは以前ベルナベウでプレーした際、観客から称賛の拍手を浴びました。
トッティ「あれは信じられない気分だったな!・・・ところで、俺はきみの次の質問を先回りして答えるとするよ。そう、ヨーロッパの大会でお気に入りのゴールは、ベルナベウで決めたやつだぜ(笑)」
――わざわざ先に答えて頂いてありがとうございます。それを質問するつもりでしたから(笑)ですがカピターノ、あなたはマドリー相手に2度スコアリングしていますよ。ひとつは2001年、翌年にもうひとつ。どちらの事でしょうか(笑)
トッティ「(笑)2001年の方さ。カンデラがむちゃくちゃ頑張ってくれたんだけどね」
如月注:2002年のゴールは、ヴァンサン・カンデラがドリブルで数人かわして出したエンドライン際からの折り返しをトッティが決めた。
――では最後の質問です。あなたが引退する時、ライバルたちからはどのように思われていたいですか?
トッティ「それは俺が決める事じゃない。彼らに任せるよ。ただリスペクトがあれば俺は満足なんだ。サッカー選手のキャリアにおいて、それが最も重要だと思うからね」
<了>
このインタビューの2年後の2017年5月28日、フランチェスコ・トッティは現役を引退した。
それがどれだけ悲しく、どれだけ美しかったのか。それは、カピターノが最後にぼくたちロマニスタに見せた特別なファンタジーアだ。他のクラブのファンには死んだって判らない。
いよいよその時が近づいでいると世界が知るや、トッティがプレーする度(その殆どは途中出場だったが)、ヨーロッパ各地のスタジアムではスタンディング・オヴェーションが起こり、誕生日には各界の著名人がお祝いのコメントを送った。
ウィキペディアを見てみるといい。伝説に相応しい長い文章とは対照的に、右隣に記されたプロキャリアにはひとつのクラブ名しか記されていない。
ROMA
我々のクラブだ。
もうトッティがヒールでパスを送ったり、ゴールを決めて親指を咥える姿を見る事はできないけれど、このインタビューで、トッティに対する愛情、感動を思い出したり再確認して頂けたらと思う。もうぼくが、このような長いインタビューを紹介する機会はないだろうから。
フランチェスコ・トッティ
それは、ぼくに多くを与え、そしてあまりにも多くのものをぼくから奪い去った、ただひとりの偉大なカピターノ。
とかバーっと書いてたら「あれ?この人死んだんだっけ?」てな気持ちになりました。生きてます。すいません。
コメント
Wikipediaのところ、何回読んでもグッと来ます。トッティの自伝はもちろん予約して入手しましたが、畏れ多くてまだ開けてません。読むための精神統一が必要。
はなおさん
ありがとうございます!
もう本は読み終えたでしょうか。確かにぼくも読むまで1日掛かりましたね。
トッティ最高ですね!
トッティのプレイが懐かしく感じます…まだ心の傷が癒えませんw
レントンさん
本人30分だけならまだプレーできると言ってますので、もしかすると現役復帰も。。。