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難民ボートに乗ってイタリアにやってきたダルボエの物語

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ヨーロッパリーグ準決勝2ndレグで、ローマは4-1-4-1で臨みました。このライン間のボランチポジションにマンチーニかスモーリングが入るというスタイルが前半ぶ厚い攻撃を生み出していたのですが、29分にスモーリングが故障でピッチを去り急造のフォーメーションは崩壊の危機を迎えます。しかし、その穴を見事にカバーしたのが19歳のエブリマ・ダルボエです。昨年プリマヴェーラでローマとプロ契約を結び、セリエAに7分間出場しただけのルーキーをフォンセカ監督はピッチに送り出したのです。そして彼は見事にチームの勝利に貢献しました。今日はそんなローマの期待の新人ダルボエをご紹介したいと思います。

エブリマ・ダルボエは2001年にガンビアで生まれました。しかし、長らく国は貧しく、食料は不足して多くの問題を抱えており、彼は14歳になると、母親、2人の兄と弟、2人の姉妹と別れイタリアを目指すことになります。しかし、その旅は前途多難でした。

リビアにたどり着いたダルボエは、人身売買組織によって拘束され、収容所で虐待と暴力を受けました。その後、難民ボートに乗り、どうにかシチリア島へたどり着きます。イタリアは、難民と亡命者の保護システム(SPRAR)によって彼を保護しました。その時、身長176cmのダルボエの体重は50kgしかありませんでした。
ラツィオ州リエーティ県のソーシャルワーカーの元で新生活を始め、そこで彼の選んだスポーツがガンビアでもやっていたサッカーです。彼はイタリア語を学びながら、アマチュアクラブでプレーする彼の才能を、ローマのスカウトマンは見逃しませんでした。スカウトマンはすぐにジャッロロッシに連絡をしてダルボエの獲得を説得しました。ローマはすぐに彼の才能を理解して、トリゴリアのキャンプに招待します。そして、晴れてプリマヴェーラの一員となったのです。しかし、彼がローマでプレーを続けるためにはイタリアで難民認定を受ける必要がありました。そこでFIFAが介入して、裁判で任命されたソーシャルワーカーが彼の保護者になり、晴れて昨年プロ契約を結んだのです。

昨年ローマとプロ契約を結び、現在は年俸5万ユーロを稼ぎます。しかし、彼はその殆どをガンビアの母親に送金しています。当時50Kgの体重も今では70Kgに増えました。彼はローマとの契約を「夢の実現」と語りましたがが、その夢はヨーロッパリーグ準決勝出場という形に変わり、さらにまだ続いていきます。

それでは、マンチェスターユナイテッド戦後のコメントをご紹介致します。

SKYSPORTSのマイク

今のお気持ちは?

ダルボエ「どう言ったらいいのか···。興奮していてなんて説明すればいいのかわからないんです」

ピッチに立ってどのように感じましたか?

ダルボエ「トップチームのトレーニングに呼ばれたらいつも全力でプレーしています。フォンセカ監督からは、ぼくは強い選手なんだからトレーニングと同じようにリラックスしてプレーするように言われました。なので今夜はシンプルなプレーを心掛けたつもりです」

いつもあなたを助けてくれるチームメイトは?

ダルボエ「みんなです。ローマに来たばかりの時はデ・ロッシさんやコラロフさんが手を貸してくれました。今はディアワラさんがいつも一緒にいてくれます」

あなたは若い選手たちのよいお手本となっています。ガンビアからやってきてどのようにここまで到達したのでしょうか?

ダルボエ「ぼくは小さい頃からサッカー選手になる夢を持っていました。ですが御存知の通りアフリカでは助けがなければイタリアのようなハイレベルなサッカーを目指すことはできません。兄弟はぼくに「お前は才能がある、ヨーロッパに行かなきゃいけない」と話してくれました。親もぼくのためにビザを申請しようとしてくれましたが、それは簡単ではありませんでした。だからぼくは友達と2人で難民としてイタリアに向かったのです。本当に辛かったです。でも神様とイタリアに心から感謝しています。彼らはぼくたちを受け入れ、SPRARに入れてくれました。本当に感謝しています。そこでぼくは代理人であるミリアム・ペトルッツィと出会いました。まだ幼かったぼくを彼女は家族の一員として迎え入れてくれたんです。若い人たちには自分を信じて忍耐を持ち、決して夢を諦めないでと言いたいです」


ROMA TVのマイク

あなたの物語を聞かせてください。

ダルボエ「みなさん御存知の通り、ぼくにはちょっと特別な話があります。それは長く厳しい物語でしたが、ローマに来てその人生は変わりました。ですが、まだ何もしていませんし、先も長いと思っています。チームにもっと多くの貢献ができるようにこれからも練習がんばります!」

ピッチに立って興奮しましたか?

ダルボエ「最初は興奮しました。4.5年前テレビで応援していた選手たちがと対戦できたので本当にエキサイティングでした」

チームメイトや監督からどのような指示を?

ダルボエ「シンプルなプレー、簡単なプレーをしろと言われました。自分の得意なプレーを見せようとするなと言われたので、その通りにプレーしてチームメイトの手助けを心がけました」

そしてこの試合で勝利に貢献しています。

ダルボエ「でも勝っただけです。勝利はできませんでした。その点では申し訳ないく思っています。でも一緒にプレーできたプリマのザレフスキのゴールは嬉しいです」注:後にテレスのオウンゴール扱いになった。

そしてまたプリマヴェーラに戻ります。

ダルボエ「はい。今は落ち込んでいますがすぐに立ち直ってがんばります。今の自分があるのはデ・ロッシ監督とスタッフのおかげです。彼らはぼくに多くのものを与えてくたんですよ!」

<了>

彼が19歳の若さで、普通ならば体験する必要のない過酷な運命から、プロサッカー選手という大きな夢を掴んだのは、運と彼自身の努力の結果だと思いますが、これは全体のほんの僅かであり、ぼくはローマに来てくれて良かったとは思いますが、これがストレートな美談、サクセスストーリーとは思っていません。

アフリカ難民の人身売買はビジネスになっていて、その規模は全世界で250万人にも及ぶのだそうです。そして、その70%が女性だとも言われています。ぼくたちが日本でそれなりに生活できている間、世界のどこかでは信じられないような困窮と、選択を強いられる人たちがいるということです。でも本当にローマに来てくれてよかった。平成30年外務省の発表によると、ガンビアは、人口の約半数が一日1.25ドル以下の生活を送る貧困国であり、国民の10人に1人が食料不足に陥っています。また近年頻発する洪水により主食であるコメの収穫不足が深刻化しており、食料安全保障の悪化が懸念されているとのこと。

ですが如月的には、彼が難民だからではなく、ローマに所属する一人のプロ選手として、これからを応援したいなと思っています。苦労したから応援するなんて単なる同情じゃないですか。でも彼は良いプレーを確かにしていた。それを知れたという意味では、ヴィジャールの代わりに彼をベンチに置いたフォンセカ監督に感謝です。

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