とうとうこの日がやって来ました。本当は朝7時にはほとんど今日の更新書き終わっていたんだけど、『ダニエレ・デ・ロッシ引退』という題名がどうしても書けなかったです。そのひと言を書くまで15時間掛かった。なので、新鮮味のない内容になっていたらすいません。
本日、ダニエレは、会長のJorge Ameal氏と共に会見を行いました。
デ・ロッシ「みなさん、どうも。まずはじめに断っておくと、家族が病気とか、そういう理由ではないんだよ。だが、俺は家族が恋しい。本当に会いたい。ボカと揉めたことはないんだ。むしろ、この数日前に、彼らは契約延長の嬉しい申し出をしてくれて、俺がここに残るように説得しようとしたんだ。ここで暮らして、この場所でサッカーとはとのようなものかを知った。あま、キミらにはなんの事かわからんだろうが(笑) とても悲しいが、心のクラブを離れ、情熱を注いだこの仕事からもおさらばだ。と、いっても、俺ももう36だし、どうせあと10年プレーする事は出来なかったさ」
イタリアに戻る主な理由のひとつは、娘の存在だと言います。
デ・ロッシ「そうだ。詳しい話はしないが、長女は唯一1人でイタリアで暮らしている。あの子には側にいる父親の存在が必要なんだ。ただ、俺はこれからもサッカーの世界で働き続けるよ。とのような仕事になるかはわからないけどな」
そして、ボカへの愛情についても語りました。
デ・ロッシ「ローマはまた別の俺の唯一の冒険だった。俺はローマの他に愛せるクラブなんてないんだって思ってた。もちろん、ローマは他のどのクラブとも違うさ。でも間違いなく、俺は心を残して去るだろう」
昨年夏前に一度失い、今日もう一度失った気持ちです。いつかまたローマファンの前に姿を見せるのは知っているけど、こういう熱い男がスパイクを壁にかける事実は、納得はしていてもとても寂しい。次はスパイクの代わりに革靴を履いて、ボールの代わりにホワイトボードを使って戦術を説くのでしょう。
彼がデビューしたときは、得点センスはあるけど、まだ鼻息の荒い子供だなぁと思っていたのが、レーザービームのようなミドルシュート、ワールドカップを経て、ピサーロとの黄金のボランチや、センターバックをやってるうちにいつしか自分よりもうんと歳上の経験豊富な指導者みたいな達観した存在になっていて、ぼくが16年ぼんやり試合を眺めている間に、彼はキャリアを通じて、すごいスピードで成長を遂げたんですよ。普通の選手と違うんです。
ぼくは、昨年5月のデ・ロッシ最後の試合に衝撃を受けて、その日のうちに長らく勤めた会社に辞表を出しました。デ・ロッシが家を離れ、新天地で自分を試すならば、ぼくもそうしてみたいと思ったからです。なんとなく・・・というか、一方的にデ・ロッシは、ぼくが次へと踏み出す為のあと少しの勇気を与えてくれる人だと思っていて、それがぼくにとってダニエレ・デ・ロッシが特別な理由で、でもちょっと今は全てを文章にするのが難しくてすいません、話変えます。
ローマというクラブが目標に向かい日々走り続けていて、デ・ロッシも別の目的地に向かい走り続けているとあれば、走れば走るほど、お互いの距離は離れていくわけです。それはぼくたちロマニスタも同様で、家庭や仕事に走れば、ローマであり、サッカーであり、そういったものと疎遠になる可能性がある。いい距離感、適度な関わりを探せたらそれが一番いいのですが、ヨーロッパサッカーって、試合時間や言語も含めて、自分から掴みにいかないといけないですよね。
ですが、そんなに必死につかみにいかずも、ASローマへの良い入り口として、またロマニスタたちのプラットホームとして、ぼくはもっとがんばらないといけないと感じました。そもそもローマ熱が冷めたりダレた事一度もないのでまだやれる。そして、ローマ速報は、読んでくれるロマニスタたちの望む方向に進みたいし、そうなるべきだと思っています。でも俺いったいどこに向かえってんだよ!
ところで、この会見で、ダニエレはこう言いました。
「俺は、治療しながら引退する唯一の選手だろうよ!」
怪我続きのダニエレらしいジョークです。そして、その言葉はぼくたちにとても優しい。偉大なバンディエラ、偉大なカピターノ、あなたのファンになれて良かった。
あ、それはさてとき、アンナマリアちゃんが、ダニエレについてツイートしてたので萌えました。チュッチュしたいお。
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