先ほどファラオーネが中国へと旅立ちました。
このインタビューは旧ローマ速報で2019年4月12日に掲載したものですが、まさかその3ヶ月後にローマどころか、イタリアから出発するとは夢にも思わなかったです。でも、本人やご家族にとって大きな決断、人生の選択をしたのでしょう。ローマファンとしては色々言いたい事はありますし、それはみなさんも同じ気持ちでしょうが、ここでもう一度彼の言葉をお伝えして、その功績を振り返ってみたいと思います。
参考資料:ロマ速ライター記事
ASローマ 2018-19 annual “PAGELLE”
ヨーロッパサッカー界にフェノーメノはたくさんいるけれど、『天才性』を感じる選手は意外と少ない。天才=ファンタジスタなのであれば、現代サッカーでは納得の話かもしれない。走れる、守れる、決められるといった三拍子のファンタジスタは過去にほとんどいなかったからだ。
ステファン・エルシャーラウィは天才だ。しかも走って、守って、決めてくる。ただし、ここで重要なのは、ニトログリセリンのような爆発をするフェノーメノではないということ。しみじみと天才なのだ。このしみじみの部分は、必ずしもストライカーにとってゴールだけが才能の発揮場所ではないことを示している。なぜだか妙に愛苦しいところも魅力のひとつ。そんなエルシャーラウィもセリエAデビューから10年。26歳の早熟の天才の素顔をお伝えしたい。
――ステファン少年はどんな子供だったのでしょうか?
エルシャーラウィ「子供の頃?最初からサッカーの情熱がとめどなく溢れるような感じだったな。サッカーボールを抱いて生まれてきたんだ。きっと今でもそうだね。歩けるようになると、父はすぐにぼくを庭に連れ出して一緒にボールを蹴った。サッカーはぼくの人生なんだ」
――他のスポーツの興味は?
エルシャーラウィ「そんなになかったかな。でも子供の頃だけど、近所の公園で遊んでいたら、他の子がマイケル・ジョーダンの手形がプリントされたバスケットボールをくれたんだ。あれには直撃を受けたね。すぐに父のところに行って、サッカー止めてバスケがしたいって懇願した。当時通っていたサッカークラブの監督は、父にぼくを説得するように頼んだらしい」
――それで?
エルシャーラウィ「父は監督をなだめて、バスケを試す機会を与えたいと言ってくれた。だから3日間トライアウトをしたね。で、それ以来バスケとはさよならさ(笑)」
――プロになれると感じたのはいつですか?
エルシャーラウィ「とくにこの瞬間って感じではなかったかな。でも、ジェノアのトップチームと一緒にトレーニングできるようになって、そろそろ夢が近づいているって思ったよ。セリエAでプレーしたかったという夢にね」
――デビューの瞬間、どんな気持ちでしたか?
エルシャーラウィ「すべてが早かったね。ぼくはただ楽しくプレーしたいだけの16歳だった。当時のジェノアは故障者が続出していて、なかなか出させては貰えなかったけど、ベンチメンバーには入れていた。アウェイのキエーヴォ戦はとうとうプリマから5人が呼ばる事態になった。その試合でボスコ・ヤンコヴィッチが足を攣り、監督はぼくにウォームアップを命じた」
――そしていよいよ・・・
エルシャーラウィ「自分の夢までもうすぐだと感じた。緊張していたし、感極まってもいた。ぼくはスコアレスの状況で投入された。そしてチームは、ルベン・オリヴェイラのゴールで勝利したんだ。ぼくはビルドアップに関わり、ゴールの後、彼と一緒に喜んだ。まさに夢の様なデビューだったよ」
――常にフォワードを?
エルシャーラウィ「子供の頃はいろんなポジションをやったよね。キーパー経験もあるよ。14歳までは中盤で、その後はぼくの定位置のウイング。右でもプレーしたし、その後は左だね。パドヴァではトップ下も経験したんだ」
――最も影響を受けたアイドルは?
エルシャーラウィ「最初はロナウジーニョ。次はカカのプレーに恋した。毎日youtubeでプレー動画を見て、学校から帰ってずっと彼のプレーを真似していた。ぼくはカカから多くを学んだ。常に選手としてリスペクトして、知り合いになった後は人としても尊敬してるんだ」
――これまでで最高のアドヴァイスは?
エルシャーラウィ「ぼくが受けた最高のアドヴァイスは全て父からのもの。父はぼくのサッカー人生の全てにおいていつも側に居続けてくれた。ぼくを支え、ぼくの為に仕事もライフスタイルも変えた。『多くの犠牲を払い、常に高い目標を持ち、決して栄光に溺れるな』これはそんな父の姿から学んだ事だよ。そして、どんなに成功しても決して謙虚さを忘れるな、ともね」
――プロを目指す若者にその言葉を送りますか?
エルシャーラウィ「そうだね。成功に満足せずに情熱を持ち続けてサッカーをする。人生は大いに歓びを享受するもの。と、同時に、自分自身に対して、最大限に要求しなければならない。これまでやってきたことでは充分じゃないのさ」
――この10年で最も困難な時期は?
エルシャーラウィ「2013年に左足を骨折したときだね。キャリア初めての故障で、おそらく人生最悪の日だったと思う。3ヶ月ピッチを離れて、12月にふたたび怪我をした。ぼくとドクターは手術を選択した。その結果、リハビリができるようになったのは翌年5月。ほとんど1年を棒に振った」
――そこから何を学びましたか?
エルシャーラウィ「本当に頼れるのは家族と友人ってことかな。その間、ぼくは多くの批判を浴びた。フェアじゃないものばかりで正直気分が悪かった。でもそれで多くを学ぶ事が出来たんだけど・・・」
――親友はいますか?
エルシャーラウィ「うん。2人いるよ。1人はマヌエルって奴で、幼稚園からの付き合いなんだ。もう一人はアウレル。中学で知り合った。ぼくたちはずっと一緒に過ごしていた。ぼくが困難な時期も彼らは常に側にいてくれたんだ」
――サッカー界では?
エルシャーラウィ「ぼくは所属したチームの誰とでも良い関係を築いてきたと思う。下部組織時代のチームメイトとは、時間が経つと疎遠になっちゃうんだけど、マッティア・ペリン(ユヴェントスGK)だけは別だね。マッティアとは全てのユースカテゴリーで一緒だったし、プリマで一緒にスクデットを獲得した。ローマだとロレンツォ(ペッレグリーニ)が親友だよ。ピッチの外でも一緒につるんでたりするからね」
――あなたはサッカーとは別にスヌーカー(ビリヤードの一種)にも情熱を燃やしています。
エルシャーラウィ「ビリヤードは好きでサヴォーナで暮らしていた頃、ずっと遊んでたんだけど、2010年にテレビでスヌーカーを観たんだ。全く異なる競技だと思ったよ。テーブルは大きく、ポケットは小さい。そしてより複雑な戦術があるんだ。ただ、残念ながら当時のイタリアでスヌーカーを遊べる場所はなかったよね。だから2010年から2014年まではずっとユーロスポーツでテレビ観戦オンリーさ。そんなある日、故郷のサヴォーナにスヌーカークラブが出来るというツイートを目にした。いやもう全然信じられない、マジかよ!って気持ちさ。詳しい話が知りたくて、すぐにそこに電話したんだよね。当時ぼくはミランでプレーしていたけど、次のオフには早速プレーしに行った。今の家にスヌーカーテーブルを設置するまではずっとそこに通い詰めていたね。ローマには、イタリアのチャンピオン、ジャンルカ・マノリが暮らしているから、時々自宅で一緒に球を突いてるよ」
――今シーズン、あなたのコンディションは非常に良いと思いますが、筋肉のトラブルでプレー出来ない時期も続きました。
エルシャーラウィ「うん。でも、ぼくはむしろ今季の自分には満足しているんだ。フィニッシュワークや全体的なプレーの質が上がって、サッカー選手としての成熟を自分自身感じている。こういった事がぼくの自信や信念を更に強くしてくれる。確かにチームとしては多くのポイントを取りこぼしたけど、チャンピオンズリーグ圏外にいるってだけで不可能な順位じゃない。あと7試合あるからね」
――あなたはローマのユニフォームを着て100試合目をエンポリ戦で迎えました。さらには自身のゴールでそれを祝い、最後はフロレンツィからキャプテンマークを渡されています。
エルシャーラウィ「アレ(=フロレンツィ)の退場は残念だったけど、セリエAでデビューして、キャプテンマークを巻いたのは初めてだったから、とても素晴らしい瞬間だったし、とても誇りに思うよ。10分間のカピターノ体験は本当に素晴らしかった。特別な夜になったよ」
――ポルト戦の後、ディフランチェスコ監督は解任されました。彼と別れるのは辛かったでしょう?
エルシャーラウィ「いいや、そうじゃないな。残念だけどチームが上手く行かなければ最初に責任を取るのが監督だよ。監督は仕事に身を投じ、ローマと選手たちの為に全てを与え、自分の哲学を伝えようと試みた。昨シーズン、チャンピオンズリーグ準決勝に導く事でローマの歴史に名を残したんだ。監督は間違いなく良い思い出を残してローマを離れたんだよ」
Forza Faraone!
コメント
ローマに引き止めるだけのインセンティブがなかったこと、中国からの高額オファーなど理解はできますが、この才能が26でヨーロッパ離れちゃうのかぁ、と純粋に寂しいです。
はなおさん
3年で4000万ユーロなんて無理ですよ!色んな人がリツイートで色んな意見を書いてますが、どれも正しいと思いますね。誰が悪かったとも思いません。ただ残されたぼくたちの寂しさはリアルでどうしようもないですね。
年俸20億ですか…こりゃ無理だ
これだけ出せるならスーパースター行けよと言いたくなりますが、ローマが売却した選手が世界中で高評価されてる裏返しと考えるしか…
やはり今年は本当にターニングポイントになりそうですね、今年こけたら本当に誰もいなくなりそう
tacuさん
シャーラウィについてはもう本人の納得行く形になればいいとしか言えないですね。
中国リーグ観てみたいと思いますが、どうやったら試聴できるのかなとか今考えてますw
寂しいですがしょうがない、としかいえないですね。とてもファラオーネ本人を責められない。むしろ去年の出来を考えれば感謝しかない。彼がいなかったらELはおろか二桁順位だったと思います。
怪物ではなく天才性ってのが本当に分かります。
ドリブルの時のボールの持ち方、シュートを打った瞬間にゴールに吸い込まれるようなイメージが湧くようなシュート
名残惜しいです。