1998年の11月1日、22歳のトッティは正式にローマのカピターノに就任した。ブラジル人ディフェンダー、アウダイールはそれまで絶対的なリーダーとしてチームを牽引していたが、そのリーダーは次のキャプテンマークを22歳のロマーノに継承すべきだと考えたのである。アウダイールは当時をこのように振り返る。
アウダイール「私は33歳でブラジル人初のローマのカピターノになれたことを心から誇りに思っていた。私はピッチですべてを捧げた。当時のフランチェスコは、ワールドカップに出場できなくて落胆しているようだった。私が彼にキャプテンの座を譲ったのは、彼を励まし、後押しするためだったよ」
98-99シーズンが始まったとき、アウダールは自身が選手として高齢で、キャリアの最後に差し掛かったことで、チーム内で求心力を失っているのを感じていた。と、同時に、ローマ生まれの少年に信じられないほどの可能性を見出していた。カンピオナートがまだウインターブレイクを迎えるよりも早く、アウダイールはトッティにその座を譲ることを決め、ローマはその重要な決定を、週末にウディネーゼ戦を控えた1998年10月31日に発表した。
アウダイールはトッティにこう言った。
アウダイール「今、その時が来たんだ。君はこれからカピターノとしての責任を背負うことになる。なぜなら君がローマだからだ。さあ行け、世界にその姿を見せてやるんだ」
こうして彼はローマ26代目のカピターノとなった。その中には、ローマ速報が動画で配信した悲劇のバンディエラ、アゴスティーノ・ディバルトロメイ(18代目)や、現レアルマドリーの監督カルロ・アンチェロッティ(20代目)などがいた。後19年に渡り、クラブの絶対的なバンディエラであり続け、2018年5月に引退した。
『トッティとは、子どもたちが大人になったときに夢見るものだ』
現在でもロマニスタの間で人気の高い巨匠ゼーマン監督の言葉だ。その言葉はこう締め括られる。
ゼーマン「ファンがチャンピオンになり、チャンピオンが象徴になり、象徴が伝説になる」
伝説はいつまでも語り継がれる。語り継がれるから伝説として生きていく。ぼくたちロマニスタは、トッティのような選手が他のどのクラブにも存在しないという事実がどれだけの特権かを理解している。そして、そのトッティが太鼓判を押したロレンツォ・ペッレグリーニが今ではクラブを率いている。彼はフォワードではないが、モウリーニョの敷く4-4-2で度々前線に立ち、まるで攻撃手のようにプレーしている。年々、プレーにはトッティの影響が見られるようになってきた。
現在ローマは結果、質共に難しい状況にあり、これを乗り越える為には、ロッカールームの団結が必要になる。ペッレグリーニがチャンピオンになり、象徴になり、いつしか伝説になるとぼくは信じている。今はそのための試練の序章なのだ。
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