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【ECLノルウェー遠征SP】レアンドロ・クフレ「私の心はいつでもローマ」

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レアンドロ・クフレを覚えているだろうか?いや、覚えているどころか知らない人も多いかもしれない。しかし、彼の発言を知れば、プレーは知らなくてもシンパシーを感じるはずだ。それはクフレが未だにロマニスタだからなのだろう。つまりぼくたちと同じ仲間だ。同じ匂いがする。

今夜、ボデ/グリムトと対戦するローマだが、前日会見でモウリーニョはこの試合を「悪天候と北欧では普通である天然芝、片道4時間のフライトはローマにとって難しい」と話した。

その厳しさを身を以て知る者は現在のチームにはいないが(モウリーニョですらノルウェーのチームと戦うのは初めてだ)、実は過去にも一度ローマはノルウェーのクラブと対戦したことがある。

2005年のUEFAカップ(後のヨーロッパカップ)のグループステージがそれだ。ローマはトロムソと対戦して、同点で折り返した後半84分に決勝ゴールを決めて勝利した。そのスコアラーがレアンドロ・クフレ。この時代のローマで不動の左サイドバックだったアルヘンティーナである。彼にとってキャリア通じて忘れられない夜となった。このときも難しい気候、難しいピッチだったに違いないが。

参考映像資料:トロムソ対ローマ

【テキスト用映像資料】2005年レアンドロ・クフレの逆転弾

*映像死ぬほど粗いのです。できる限りリマスタリングしてみましたが、AIでも使わない限りどうにもならないアナログテープの孫ダビング感は消えなかったものの、当時の雰囲気、臨場感としてお楽しみ頂ければと思います。

長い髪をなびかせて、闘志むき出しで戦い、番犬のように食らいついたら離さないハードマーカー。それがクフレのプレースタイル。2015年に現役を退き、43歳の現在は監督としてがんばっているのだとか。そんな彼がカンファレンスリーグを戦うローマの為に当時を振り返りながら助言をしてくれた。


トロムソの夜を覚えていますか?

クフレ「もちろん!とても良く覚えているよ。寒かったこともね」

今回のボデも天候は穏やかとは言い難い。

クフレ「あそこはいつでもそうさ。でもこれもサッカーの一部だよ。でもね、そういった天候の中でヨーロッパの大きな大会を戦うってのは良いことだと思うな。テンションが上がることもあるし」

2005年にノルウェーで決勝ゴールを決めたからですか?

クフレ「あれはね、複雑な試合だった。というのも陣容的には間違いなく私たちの方が強かった。しかし、3日後にデルビーが控えていて、そこに気を取られる状況でもあったのさ。ローマの選手にとってデルビーは特別だからね。クフォーのゴールで先制したが、前半で追いつかれて、私が後半終了5分前に決めた。スルーパスを受けて、そのまま持ち込んで左足を振り抜いた。あれには本当に大きなカタルシスを覚えたよ。その後のデルビーに弾みがついたね」

今でもストラチッタディーナ(*デルビー)に思い入れがあるのですね。

クフレ「そうなんだ。常に心はローマにある。今でも私の心はジャッロロッソなんだよ。間違いなく私のキャリアで最高の経験をした場所さ。いつまでも忘れない」

この都市とクラブの魅力とは?

クフレ「ロマニスタだよ。彼らは素晴らしい。都市はサッカーの為に生きている。そのDNAはチームに受け継がれているんだ」

DNAとは具体的に何を指しているのでしょうか?

クフレ「ローマでプレーする選手ならば、誰もが常に全てを捧げなければいけないんだ。たとえ悪いプレーをしても、たとえ負けたとしても、スタジアムに来てくれた人に対する責任を忘れてはいけない。私も微力ながら常にそうであるように努めてきた。それがDNAだよ」

なにか特定の出来事を指しているように聞こえます。

クフレ「2002年のチャンピオンズリーグでガラタサライと戦った後、試合終了後にトルコ人選手と乱闘になった事がある。あってはならないことだけどね。そこでローマの選手は、プレーしていない私も含めて、全員で私たちのカーサ(家=ローマ)を守った」

当時あなたはローマにやってきたばかりでしたね。そのシーズンはユニフォームの胸にスクデットが縫い付けられていました。

クフレ「アルゼンチンのヒムナシア・ラ・プラタから移籍してきたけど、パヌッチやカッサーノといった強い選手の加わったチームに適応するのは骨が折れたよ。まだ23歳で、最初の2シーズンは上手くいかなくて、それでシエナにレンタル移籍することになった。これがプラスに作用して、ローマに戻ってからは実質レギュラーとしてプレーできた。ちょっと前にメキシコでカペッロ監督と会って、そのとき監督もそう言ってくれた」

当時監督とあなたに確執のようなものはあったのでしょうか?

クフレ「いいや、ないよ。むしろ自分について尋ねた時、監督からスタメンは確約できないとハッキリ言われて、それでシエナ行きを決めたんだから」

しかし、活躍した翌シーズン、モナコ移籍が決まりました。スパレッティの元でも良いシーズンを過ごしていたことを考えると意外な決断だったと思います。

クフレ「そうだね。2006年のワールドカップから戻ってきて、夏にオファーが舞い込んだ。ローマでは良いシーズンを過ごしていて、チャンピオンズも出場できたけど、モナコは3年契約を提示してくれて、それを受け入れることにした。今となっては間違った選択だったと思う。それでも今でも私の心はロマニスタなんだ」

今でもローマの試合を?

クフレ「いつも観ているよ。サッカーの試合を観るのが好きだし、ローマの試合も同じように観ているんだ」

モウリーニョがローマの監督に就任したことでどのような影響があると考えますか?

クフレ「彼は素晴らしい監督だよ。当時のカペッロのようにローマにスクッデットを取り戻してほしい。ローマのDNAとは、このクラブで誰一人欠くことの許されないコミットメントであると説明したが、彼は経験を積み、そういった姿勢を見せてきた人物だ」

先程カペッロ監督と会ったと話していましたが、あなたも現在メキシコにいるのですか?

クフレ「現在グアダラハラで暮らしている。とても良い街で家族も安心して暮せる場所だよ。今は監督業を休んでいるから、どこかのクラブから声がかかるのを待っている状態なんだけど、今の所ここから引っ越すつもりはない。でも唯一あるとしたら、それはローマに戻る時だと思っているんだ」

<了>

コメント

  1. 産まれた時からロマニスタ より:

    如月様
    更新お疲れ様です。
    レアンドロ・クフレ懐かしいですね!ローマの左サイドバックと言えばクフレですよね!←え?笑
    豊富なスタミナでガムシャラに走る体力だけのサイドバック。のイメージが強いですが、こういったコメントを見ると嬉しくなりますね✨

    サムネの例のユニフォームはあの頃でしたか笑
    この1シーズン前?のライン2本のユニフォームは好きで持ってますが、やっぱりこのユニはダサい😂

    • 如月 より:

      産まれた時からロマニスタさん
      ローマはこれまで左サイドバックの人材難に見舞われたことがないですね。クフレも気持ちで戦う実にロマニスタの好きそうなタイプでした。

      個人的にはもう一度ディアドラのサプライヤーでユニフォーム作って欲しいですねw

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