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アントニオ・ミランテ:ロングインタビュー最終回「ローマの一員であることに誇りを持っている」

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第1回目はこちら↓

プロとして様々なクラブを渡り歩いた第2回はこちら↓

—パルマを出たあなたはボローニャに辿り着きました。

ミランテ「私がプレーを満喫したもうひとつのチームだね。彼らは昇格したばかりで、ジョーイ・サプート会長は本当にまともな人物だった。街は美しく、ティフォージも素晴らしかった。ここで充実の3年を過ごしたよ。心臓に疾患があり、フォームを維持できない間もみなさんが私を支えてくれた。ボローニャは私のキャリアでとても幸せな時間だった」

—差支えなければ心臓の問題について詳しく教えて頂けますか?

ミランテ「オーケー。トリノ戦の翌日に気分が悪くなり、それがすべての始まりだった。最初の10日は様々な考えが頭を過っては消えた。本当に怖かったよ。自分のキャリアと人生を振り返った。私はすでに33歳になっていたから、とくに今後のキャリアが気掛かりになったんだ。同時に「もう10年も第一線でやれたじゃないか」とも思った。自分は幸運なのだとね。ローマのジェメッリ病院に入院して、10日間の経過観察の結果、先天性の疾患はなく、心筋の炎症だけであることがはっきりした。これからもプレーできるのだと判り、とても安心したのを覚えている。3か月は走ることすらできなかったけど、気持ちはすでに復帰に向かっていたよ。アウェイ戦のときでも、できるだけチームをフォローしようと心掛けた。そして、トレーニングに復帰して、これは単なる長いけがだったのだと考える事にしたんだ」

—ピッチに戻ったときの気持ちは?

ミランテ「そのときもアタランタ戦だったね。ボローニャは2-0で落とした。試合後にキーパーコーチのルカ・ブッチに、こんなにナーバスになっている姿を初めて見たと言われたよ。彼は正しかった。ストレスを感じていた私は、数か月で4キロも体重が落ちていた。そこでようやく、今自分がサッカーを辞めなければならない状況にいるのだと理解した。しかし、チームドクターのパオロ・ツェッペーリと彼のスタッフがいてくれたのは本当に幸運だった」

—キャリアを通じてサッカー界で友達はたくさんできたのでしょうか?

ミランテ「サッカー界で友達は作れないと誰かが言うなら、私はそれには同意しないよ。というよりもその人の性格によると思うからね。ユーヴェ時代にラファエレ・パッラディーノと知り合った。彼は今でも私の大親友なんだ。シエナではダニエレ・ポルタノーヴァと良い関係を築いた。パルマとサンプで一緒だったカッサーノとだって今でも仲が良いね。パルマでは本当に素晴らしいチームがあった。ボローニャも同様さ。つまり私はサッカーを通じて良い出会いをたくさんしたということだよ」

—これまであなたはローマと何度も対戦をしてきましたね。

ミランテ「スモールチームのキーパーにとってローマほど難しいチームはなかった。対戦する度、トッティ、デ・ロッシ、フロレンツィ、今はペッレグリーニといった選手が持つ絆を感じていたよ。私がローマを称賛してきたのは、単に良い選手が在籍しているからではなくこういった絆の部分なんだ。対戦については、これまでローマ相手に良いプレーをしたことはあったし、いくつかの痛手も負った」

—そのあなたが今ではジャッロロッソの一員です。

ミランテ「ボローニャを離れようとは思っていなかったけど、オファーが舞い込んで、いよいよビッグクラブを経験する時期が来たのだと考え始めた。実際にトリゴリアに来て驚きの連続だったよ。一般的にローマでは他のクラブよりも多くのプレッシャーがあると言われている。でも、私はこれまでの経験からもっと他の違いを見ることができたと思う。完璧にオーガナイズされた組織、他にはない環境設備、このクラブが一流だという面をね」

—移籍初年度のハイライトは?

ミランテ「2018-19チャンピオンズリーグ、ラウンド16のポルト戦だよ。私のキャリアで最も重要な試合のひとつだった。不思議な気持ちだった。試合が終盤に差し掛かっても、私は審判に終了の笛を吹いて欲しいという気持ちにはならなかった。試合後、父にこう言ったのを覚えている。「もう90分、ここでプレーを続けたい」ザニオーロのドッピエッタから、最終スコアまで、本当に満喫した試合だった。私たちの失点は不運によるもので、それだけが悔やまれた」

—パウロ・フォンセカ監督と彼のスタッフが創る新しいローマをどのように感じますか?

ミランテ「嬉しい驚きの連続、と言ったところだろうか。ミステルは就任当初から非常に落ち着いていて、それはグループに大きな影響を与えた。私たちは皆、彼のアイデアのみならず、そのアティチュード、プレースタイルを吸収し始めた。それだけにウインターブレイク明けに失速したのは残念だったよ。1月はローマにとって大きな痛手となったが、結果やプレーは元に戻り始めていたと思う。フォンセカ監督はローマにとって正しい指揮官なんだ」

—復調し始めたのも束の間、カンピオナートはコロナによって休止します。

ミランテ「ロックダウン(都市封鎖)が始まったね。私たちにとって、 トレーニング、様々な試合の遠征の準備などのルーティーンを中断するのは簡単なことじゃない。そういった生活習慣を犠牲にしなくてはいけなかったが、仲間内で文句を言う人間は一人もいなかった。それに、チームの誰一人、この都市を離れたりはしなかった。私はそれを強い責任とローマへの帰属意識だと受け取った。私たちはお互いを尊敬し合う。ナポリには車で1時間半で帰ることができたけど、私もそうはしなかった。クラブの対応も素晴らしかったね。セヴィージャとの試合が延期になると、クラブはすぐにパーソナルトレーニングのために必要な機材を提供してくれた。なにより最初に私たちとその家族の健康を気に掛けてくれた。どのクラブも、自分たちの都市のためにローマほどの取り組みはしていないと思っている。その一員であることに私は誇りを持っている」

—外出できない間どのようにして過ごしましたか?

ミランテ「たくさん映画を観たし、テレビドラマも観たな。空いた時間を使って少しだけ英語も学んだよ。そうそう犬を飼い始めたんだ。だから犬とずっと一緒にいたよ(笑)このおかしな時間を最大限に利用しようと思ったんだ。私は不平不満を言うのが好きじゃないし、そうする人も好まないからね」

 

—トリゴリアに戻って如何でしたか?

ミランテ「ロッカールームに入れずに、グループセッションも受けられないというのはなかなか簡単なことではなかった。でも、私はこれらを次のステージへの準備だと考える事にした。いつリーグが始まるか、クラブが完全始動するのか、それは私たち選手の仕事に影響する部分だけど、ローマはあらゆる面できちんと準備されているんだ。少し前までは、リーグ再開の合意は難しいのかもしれないと心配していた。でも、心の中でずっと再開を願っていた。サッカーは、観る人に大きな力を与えることができる。私はそう信じているんだよ」

<了>

犬について補足しておきます。その犬の名前はアウラといって、今年3月にミランテ家の一員となりました。アウラは前の飼い主に捨てられたかわいそうな犬で、保護施設で何年も過ごしていました。ミランテは施設を訪れ、職員との簡単な質疑に答えました。

「お名前と職業をお聞かせ願えますか?」

「アントニオ」

「ご職業は?」

「自由業」

そして犬のいるケージへ向かうと、すぐにアウラを気に入りました。決して若くはなく、それでいて、おとなしく落ち着いたアウラの姿に、ミランテは自分をダブらせたに違いありません。Forza Antonio e Aura!

コメント

  1. 41 より:

    アントニオ・ミランテのロングインタビューお疲れ様でした。
    今まで以上に選手、ローマが好きになれました。
    ありがとうございました。

    • 如月/kisaragi 如月/kisaragi より:

      41さん
      こちらこそありがとうございます。
      また他の選手の時もよろしくお願いします!

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