スポンサーリンク

【引退発表】ダヴィデ・サントン「戦力外になってからずっと考え、苦しみ続けた」

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

昨日ダヴィデ・サントンが現役引退を発表した。当初、ミラノ生まれのインテル育ちである彼は、ローマ生まれ、ローマ育ちで、各世代で代表で一緒だったフロレンツィと意気投合した。そして、2018年にサントンのローマ移籍が実現したことで、首都で邂逅するも、その後二人ともポジションを失い、昨シーズンからは、フロレンツィがミラノでプレーして、サントンがローマに残ることとなった。

しかし、サントンはモウリーニョ体制で戦力外通告を受けてしまう。そして、ローマが移籍先を用意しもののそれをすべて断ってクラブに残る決断をした。ファシオ、エンゾンジが同様にオファーを拒否したことで、メディア、ファンからは、ローマに不利益をもたらす一派だとみなされた。全体トレーニングには参加できず、公式戦に招集されないという厳しい措置の中での残留だった。

そして、冒頭の通り、昨日9月9日に彼は引退を発表した。今回、引退に関するインタビューがコリエレ紙に掲載されていたのでご紹介したいと思う。ただ、前もって書いておくと、ぼくはサントンのこれまでの決断を正当化するつもりも、美化するつもりも、擁護するつもりもない。ローマの決定は尊重されなければならないからだ。

かつてバルザレッティは股関節の怪我が治らず、子供と公園を歩くだけでも痛みを覚えるようになり現役引退を決意した。その後、ローマはバルザレッティをすぐにチームスタッフとして雇用した。ただ残念ながら、誰もがそうなれるわけではない。サントンはサイドバックだけでなく、フォンセカの元ではボランチでもプレーした。その献身的な功績、そして外連味あるプレーをぼくは忘れないだろう。彼のこれからの新しいキャリア成功することを願いたい。


31歳で引退を決断した経緯についてお聞かせください。

サントン「チームメンバーから外されて、次から次へと検査を受けることになった。しかし足は良くならなかった。左膝にメスを入れたことはないけど、右は壊滅的だった。3回手術を行い、軟骨と外の半月板をすべて取り除いた。簡単な運動をするだけで腫れて動けなくなるし、屈筋への負担と怪我もそこから始まっている。幸い日常で歩くことは可能だが、プロとしてやるにはそれでは不十分なんだ。こうして1試合出場したら5試合休む」という具合だった」

引退は尊重すべき思慮深い選択です。

サントン「恐怖を感じながらプレーしなければならいのであれば、ぼくはプレーはしない。これまで何年も恐怖と戦いながら、適応して、仕事を続けて自分を保ってきた。でもリラックスしてプレーしたことはなく、常に怪我のリスクにおびえていた。昔は楽しくてサッカーをしたのに、この数年は苦痛でしかなかった。ローマからはいくつかオファーを受けたが、どれも私のやりたいことではないと説明したんだ」

あなたの状況を知らない人たちからは批判を受けることになりました。

サントン「給料泥棒と言われたよ。OK、だったら移籍しても良かったさ。でも想像して欲しい。移籍するとして、この膝ではメディカルチェックを通過できたかどうか…」

そこであなたは引退を決意した。

サントン「最初の数か月は苦しんだよ。戦力外通告を受けた最初の数か月は、考える時間がたくさんあったからずっと苦しみ悩んだね。もっとプレーしたかったし、プレーを楽しみたかったけど、最後は残念ながら引退を受け入れなければならなかった。本当に色々考えた。でもぼくには家族がいるし、決断しなければならなかったんだ」

<了>

コメント

  1. 産まれた時からロマニスタ より:

    如月さん更新お疲れ様ですm(_ _)m

    サントン…イケメン枠だったし、デビューした時はマルディーニと比較される程の逸材だったので好きでした。
    彼も慢性的な怪我と戦ってたんですね……怪我が無ければもっと輝いてたかも知れないと思うと残念です。。
    彼の将来に幸あれ!

    関係ないですが、インテル時代にサントン去った後、新たな逸材として出てきたファラオー二?は何処に消えたんでしょうね?笑

  2. 匿名 より:

    これは切なすぎますね…
    セカンドキャリアも頑張ってほしい
    おつかれさまでした

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました