セリエA 2019-20 昇格クラブ研究① ブレシア・カルチョ

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はじめまして、SKRです。今回は昨シーズン、セリエBを見事に優勝し、2010-11シーズン以来8年ぶりにセリエAの舞台に帰ってきたBresica Calcioと、ブレシアの街について書いていきます。

                   

ブレシアってどんなところ?

ブレシアはイタリア北部・ロンバルディア州に位置しており、人口は約20万人をを誇る、同州ではミラノに次ぐ「コムーネ」である。コムーネとは基礎自治体のことで、国の行政区画の中で最小の単位を表す。日本の基礎自治体には市区町村が該当する。

ロンバルディア州最大の都市・ミラノから東に約90㎞に位置しており、電車を利用して40分程度で行くことができる。天候に関しては冬の平均気温が1℃前後、夏の平均気温が30℃前後と冬の寒さは多少厳しいが耐えれないほどではなく、年間を通しての降水量も日本ほど多くない。

ブレシアのカルチョとは?

Brescia Calcio s.p.a

ロンディネッラ人を意味するRondinelleとエンブレムにも表されている雌のライオンを意味するLeonessa、そしてチームカラーの白と青を意味するBiancazzurriの3つの愛称を持っているこのブレシアのクラブは1911年に設立され、セリエBの総在籍シーズン数は最多の61を誇り、4度セリエBのチャンピオンに輝いている。

チームカラーの青はイタリアンブルーを、ユニフォームの胸の位置にあるVのマークは雌のライオンの心臓、そしてブレシアの街を表すものとされている。なぜ、愛称がLeonessaなのか。それには、ブレシアの歴史が関係しているが、それは後ほど改めて触れるとする。

選手たち

過去にBresciaに所属していた選手には、現Manchester City 監督のJosep Guardiola、元イタリア代表のRoberto BaggioAlessio TacchinardiLuca Toni、元ルーマニア代表のGheorghe Hagi、元フランス代表のJonathan Zebinaの他、元Napoliのスロバキア代表Marek HamšíkもNapoliに移籍する前にはBresciaの所属だった。

下部組織出身の選手としては元イタリア代表のAndrea Pirlo、昨シーズン後半からSPALに所属していたEmiliano Viaviano、現イタリア代表でCagliariに所属するAlessio Cragno、元U21イタリア代表のNicola Lealiがあげられ、現所属の選手ではSandro TonaliAndrea Cistanaなどがあげられる。

2018‐2019シーズン、セリエBを18勝13分5敗の成績で優勝し、19‐20シーズンは8シーズンぶりにセリエAの舞台で戦うことになったBrescia。


過去に通算で14シーズン戦ったセリエAでの最高成績は10勝14分10敗(当時は18チーム制)の勝ち点44の8位で終えた2000‐01シーズン。前回セリエAで戦った2010‐11シーズンは7勝11分20敗、19位で降格している。

この夏の補強は?

執筆時点での新加入選手が3人、レンタル選手の買い取りが3人と、チームのベースは昨シーズンと大きくは変わらないだろう。システムは昨シーズンEugenio Corini(後述)就任後の第6節以降での公式戦33試合のうち30試合で採用した4‐3‐1‐2を引き続き採用することが予想される。

GKは昨シーズンのセリエBの最優秀GKに輝いた元U‐21イタリア代表のEnrico Alfonso(31)とデンマークのFC Københavnから加入したフィンランド代表のJesse Joronen(26)の2人がスタメンの座を争う。

4バックのDFラインは昨シーズンとほぼ変わりはないだろう。

ただ、昨シーズン、FC Empoliからレンタルで加入し、セリエBのベストイレブンにも選出された元U‐21イタリア代表のSimone Romagnoli(29)がローンバックで去っている。Empoliは、同じCBのMatias Silvestre(34)との契約が満了している状態で、戻ってきたRomagnoliを主軸として据える可能性がある。RomagnoliがBresciaに再加入する可能性は低い。

その為、Romagnoliの代役として期待されているのが、カタールのAl Ahli Sports Clubから獲得したJhon Chancellor(27)だ。今夏のコパ・アメリカ2019でベネズエラ代表の主軸として活躍した197㎝の長身CBは、ヨーロッパでのプレー経験はないものの、即戦力として期待されている。

ひし形を形成する中盤にも大きな変更は見られない。可能性は低いが仮にイタリア代表のSandro Tonali(19)が引き抜かれた場合は、彼の穴を埋めるための補強が行われるだろう。

引用元:https://twitter.com/BresciaOfficial/status/1131985709714296832?s=20

FWは昨シーズン、チームの総得点64点のうちの37点を叩き出したAlfredo Donnarumma(28)とErnesto Torregrossa(27)の2人が今シーズンも不動の2トップを形成するはずだ。加えてフランス2部のClermont Foot Auvergne 63から加入した元U‐20フランス代表のFlorian Ayé(22)も、活躍次第ではスタメン争いに加わるタレントだ。

■Alfredo Donnarumma 


■Ernesto Torregrossa

フォーメーションは?

これらを踏まえたうえで筆者が予想する布陣は以下の通りだ。

このチームの監督を務めるのは48歳のEugenio Corini

選手時代、Bresciaでプロデビューを飾ったのちに、Juventusへ移籍、その後はNapoliやSampdoriaなどでプレーし、2009年にTorinoで選手としてのキャリアを終えた。

引用元:https://twitter.com/BresciaOfficial/status/1042377114752876544?s=20

翌年の2010‐11シーズンから当時セリエBに所属していたPortogruaro Calcio ASDで指導者としてのキャリアをスタートさせる。その後、Crotone、Frosinone、Chievo Verona、Palermo、Novaraでの指揮を経て、昨シーズンの第6節からBrescia Calcioで指揮を執っている。これまでの監督キャリアでは1年以上続けて同じ指揮した経験はないため、2期目となる今シーズンは真価の問われるシーズンでもある。

スタディオ・マリオ・リガモンティ

ホームスタジアムは街の北部に位置するStadio Mario Rigamonti。ブレシア生まれでグランデ・トリノの一員として活躍していた1人で、1949年にスペルガの悲劇で亡くなったMario Rigamontiにちなんでいる。収容人数は16743人で、昨シーズンの平均観客数は約8230人と収容人数の約半分ほどであった。

引用元:https://twitter.com/BresciaOfficial/status/1144163920275562496?s=20

引用元:https://www.bresciacalcio.it/ticket/Stadio

ブレシアの街の歴史

街の起源はブリクシアの名で呼ばれていたローマ時代までさかのぼり、アルプス以北の交易で栄えていた記録がある。また、四角形で道路が直交しているブレシアの旧市街地はローマ時代の都市計画のものだそうだ。街には古代から中世にかけての遺跡や歴史的建築物が多く残っており、「ランゴバルド王国」が遺した修道院はユネスコの世界遺産に登録されている。

ランゴバルド王国(568~774)は北イタリアに建てられたゲルマン人国家。8世紀にフランク王国の信仰を受け、ラヴェンナ地方(現在のフィレンツェの辺り)を奪われた後、カール大帝に征服された。

中世以降、イタリアは小国に分裂し、それぞれの国家はオーストリア、スペイン、フランスの後ろ楯のもとで権力争いが行われていた。19世紀の初頭にイタリアは、他の多くの欧州諸国と同じく、ナポレオンの勢力圏に入り、諸改革(フランス革命時)が行われた。ナポレオン没落後はオーストリア帝国の影響の下で旧体制が復活したが、カルボナリや「青年イタリア」を中心とした勢力により、「イタリアの統一」と封建制度の打倒が目指された。

青年イタリアとは、共和主義者のマッツィーニが組織した政治結社。共和主義と分裂していたイタリア民族の統一を掲げ、民衆の支持を得ようと蜂起するも失敗に終わり、衰退した。

イタリアの統一運動(イタリア語でRisorgimento)は19世紀(1815年–1871年)に起こったイタリア統一を目的とした政治的・社会的運動で、1861年のイタリア王国の建国、その後のヴェネツィア、ローマ教皇領の併合により半島の統一は達成されたが、未回収の地域もありイレデンタ回収主義(Irredentismo italiano)が残った。

ブレシアの街とライオンの関係性

時は19世紀半ば、当時のヨーロッパの構図は以下の通りだった。既に述べている通り、イタリア半島は多くの小国に分裂している状態だ。

引用元:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Italia_1843.svg

ブレシアのあったロンバルド=ヴェネト王国はオーストリア帝国の構成国だった。1849年3月23日、サルディーニャ王国とオーストリアが激突したノヴァーラの戦いと同じ日に、ブレシアでも対オーストリアの反乱がおきた。援軍を得たオーストリア軍に対して為す術がなく反乱軍は敗れたが、10日間のブレシアの果敢な抵抗を讃え、ブレシア市は「イタリアのライオン」 (Leonessa d’Italia)と呼ばれるようになった。これがBrescia Calcioのエンブレムそして愛称でもあるLeonessaの由来とされている。

ブレシアの観光

ローマ時代から2000年以上の歴史があるブレシアの街にはそれぞれの時代の特色が現れている観光地が今も多く存在する。

カピトリーノ神殿(Tempio Capitolino)とフォロ遺跡(Piazza del Foro)はローマ時代から存在している。ローマ皇帝ウェスパシアヌスにより1世紀に建造された神殿と公共広場の遺跡がある。また、出土品などを展示するローマ博物館も隣接する。

その他にはロッジア(Piazza della Loggia)、ロトンダ(Duomo Vecchio),ドゥオーモ(Duomo Nuova)、ブレシア城(Castello di Brescia)、ブロレット(Broletto)、世界遺産のサンタジュリア博物館などがある。

引用元:https://www.instagram.com/bresciasocial/

おわりに

今回は、イタリア北部の街ブレシアについて書きました。8シーズンぶりにセリエAで戦うことになったBrescia Calcioにも、もちろん注目ですが、歴史あるイタリアらしい魅力がたくさんつまったブレシアの街についても興味を持っていただくことができれば幸いです。拙く長い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。それにしても、記事を書くたびにブログでご飯を食べている人がすごいなぁと思わされてばかりです。

次回はイタリア南部の街レッチェについて書く予定です。

文、構成●text by SKR


如月より:

SKRさんのnoteでは、このほかにイタリアサッカーを深く掘り下げた秀逸なテキストを読む事ができます。ローマ以外の様々な都市とその歴史を知れば、その都市のカルチョに深みと物語を感じることができるでしょう。サッカーは90分では終わりません。ぼくたちの生まれるずっと前に笛は鳴り、そしてこれからも続きます。みなさんぜひSKRさんのnoteを訪問してカルチョの一端に触れてみて下さい。

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