マエストロ再び。
ロマニスタの心の師、巨匠カルロ・マッツォーネがインスタグラムを更新して(というか82歳でインスタって凄くないですか?)、愛弟子ロベルト・バッジョとの思い出を綴っております。ぼくはギリギリ現役最後の2,3年だけ観ることができた遅咲きのバッジョファンですが(にわかってヤツでしょうか?)マッツォーネとバッジョの物語は本やDVDでバカみたいに吸収しましたし、今年も一度自伝を読み返して、すでにお馴染みのストーリーなのに、またしても涙腺が緩みました。名作は飽きないのでしょうね。
以下マエストロの言葉
ある日、新聞を開くとレッジーナがバッジョと交渉しているという記事が目に飛び込んできたんだ。すぐに私は今は亡き友人でバッジョとも親交のあったチェーザレ・メドリに電話したよ。
「君は私を幸せにしてくれるかもしれないよ。その・・・もしも、バッジョと連絡を取ってくれるなら」
こうしてロベルトと電話で話すことができたんだ。
彼はレッジーナの噂は事実だが、家族と離れるのは難しいと教えてくれた。これはチャンスだと感じたよ。私が「ブレシアに来てくれないか?」と言うと、彼は「本当?多分問題はないよ」と答えた。
受話器を置くと、私はすぐに車に飛び乗り、コリオーニ会長のオフィスに向かった。そしてバッジョ獲得を提案したのさ。「バッジョをブレシアに連れて来たいと思いませんか?」
会長はしばらく考えてから私に言ったよ。
「バッジョか、まさにスパゲッティの上のチーズのようだ」
その頃、ロベルトはパーソナルトレーナーと一緒にカルドーニョで調整を続けていた。彼は私にこう洩らしたよ。
「いくらドリブルしても目の前は広大な砂地ばかりなんだ」
これがロベルト・バッジョを取り巻く物語だ。なぜ彼は疎外されたのだろう。
誰もがバッジョは終わりだと話していた。何人かの著名な監督との確執があった。何年もロベルトは冷遇されていたんだ。確かにロベルトの膝は長年の問題だったが、私は彼が故障と上手に付き合ってきたと思っている。彼は理学療法の為にチームセッションの1時間前にはやってきて、誰よりも最後にクラブハウスを後にした。
ロベルト・バッジョは私の監督業の最後を美しく飾ってくれた。キャリアの晩年に彼を指導出来たのは本当に素晴らしい経験だった。
彼は物静かで、礼儀正しく、謙虚で敬意を欠かない男だ。そして、自身の才能を誰かに誇示することもない。彼はそうさ、日曜日には私を勝たせてくれる友人なんだ。
ロベルト・バッジョは史上最高のイタリア人選手の1人だが、私はあなたにこう付け加えることができる。彼はそれ以上に人として偉大なのだと。
先日、大人のローマ速報でファンタジスタについて書きましたが、絶対的なソリストで、プリンシパル、戦術から外れ、独創的なテクニックの持ち主であるファンタジスタは、ある立場の人物からは自己中心的で監督の意に背き、尊大で、サッカーをショーか何かだと勘違いした選手に映ってしまいます。さらに悪いことに、彼らのイマジネーションはサッカーファンをとことんワクワクさせてしまう。その華やかさは、時に監督以上の影響力を持ちます。トッティをベンチに置いただけでバッシングを浴びた2016年のスパレッティのような状況が常にバッジョを取り巻いていました。
監督がファンタジスタを懲らしめるのは簡単です。途中交代、途中出場で屈辱を与えればいい。その高々な鼻をへし折るにはてき面だと、多くの監督はそれこそが調教術だと考えたのです。それでもバッジョはロッキー・バルボアのように何度も立ち上がりました。そこに手を貸したのがカルロ・マッツォーネです。
ローマ生まれ、生粋のロマニスタであるマッツォーネ監督は、1968年に監督に転身するものの、2006年にリヴォルノでサッカー界に別れを告げるまでの38年間、トップクラブとはほとんど無縁の監督でした。なぜならば、マエストロは戦術ではなく『人』からサッカーを組み立てることを好んだからです。それが大舞台で戦えなかった理由であり、同時に多くの選手から愛された理由なのです。
そんなマッツォーネですが、バッジョを送り出すときに必ずひとつだけこのような戦術を授けました。
「90分、1度だけでいいから君らしいプレーをしてくれ」
ファンタジスタに対する最高のオーダーです。ブレシアと契約延長する際、バッジョは年俸や待遇ではなく、こんな一文を条件に書き加えてもらったといいます。
『マッツォーネ監督が解雇された場合は、ロベルト・バッジョの契約は終了する』
次のローマの相手は、そのバッジョやマッツォーネがいたブレシアです。過去を懐かしく振り返りつつ週末の試合を待ちたいと思います。
コメント
自分もバッジョは後期しか知らなくて、ユベントスやミランよりむしろブレシアのイメージが強いです、ピルロやトニ、そして我らがマッテオ・ブリーギが当時ブレシアで短い間ですが一緒にプレーしてたのを考えると萌えます( ˘-˘ )
TWRさん
フィオレンティーナ、ユーヴェ時代はぼくも判らないから逆に神話の世界ですね。DVDで見ると足速いんですよ。ブリーギも何かと息の長い選手になりましたね。
なつかしいですね。ローマから移籍した(カペッロにさせられた)グアルディオラも一緒にプレーしてましたよね。あの時のブレシアは輝いてたなぁ。。
更新ありがとうございます。
マッツォーネさん、お元気そうで何よりです。
風貌は20年前からお爺ちゃんだったので、ある意味変わらないですね(笑)
バッジョだけでなくトッティ、ピルロの類いまれな才能の輝かせ方を考えてくれる監督ですね。
匿名さん
それがですね、今年の誕生日の画像見るとけっこうヨボヨボなんですよ。でも昔からおじいさんのような気がするのをぼくは桂歌丸現象と呼んでいます。
runさん
グアルディオラはローマ時代も含めて当時ノーチェックだったので悔まれます。当時のブレシアは本当に良かったですね!
熱くなりますね。
契約にそんな一文がついていたとは知らなかったです。
ちなみにオシムさんはジェフの監督に就任した際、契約書にサインをしておらず、その理由は「俺はそんな紙切れで縛られない」と言う意思表示だったと言われております。(当時GMだった祖母井さんの著書「祖母力」より)
同じではありませんが、バッジョからもパッションを感じますね。
ミツさん
こういう面白い契約ってかつてはもっといろんなチームにあったのかなって想像しちゃいますね。というか調べたいですねw
ローマは最近示談金の代わりに選手二人をただであげるという面白い契約をトリノとかわして、それがFIGCにバレてやばいことになりつつあるので、ユヴェントスも気をつけて下さい泣
やだ、読んで感動しちゃった。マッツォーネ爺、益々好きになった。
パルマで窮屈にプレーしてた中田を、ブレシアに誘い、救い出そうとしたこと、
念願かなって、ボローニャで輝かせたのも、「人」を見ていたからなのですね。
ボヤキは言いませんが、人を見る野村監督の適材適所のようです。
ローマのグアルディオラは、カペッロが前年から採用した352の3ボランチ任すつもりで獲得したのだと思います。ほとんど出られず、戻りますが。
トッティをSSに置いたシステム、、、、中田は移籍待てば良かったんじゃ、、、分かりませんけど。
匿名さん
バッジョの自伝ではマッツォーネはベタ褒めですよw
今では珍しいファンタジスタに賭けることのできるマエストロでしたね。