アレクサンダル・コラロフ「俺はデ・ロッシ以上のロマニスタにはなれない」

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ビビるほど長いインタビューをご紹介します。ロマ速歴代最長かな?ストロートマンのロングインタビューもあったけど、どうだろう?自他共に認める大のインタビュー嫌いコラロフが超ロングインタビューに挑戦。あまり一般的に知られていないコラロフの生態に迫ります(笑)
今後、このロッキンオンやクロスビートもビックリの4万字インタビューは公式でシリーズになるみたいなので、今回みなさんのリアクションが好評そうならローマ速報でも追随していくと思います。それでは心して読んでね!
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――どんなお子さんだったのですか?

コラロフ「そこいらのセルビアのガキと同じさ。将来なにか目指すようなチャンスもないから、サッカー選手になるしかないって強迫観念のようにそう感じてたよ。俺だけじゃないさ。友達もみんなそうだった。そして、いつしか本当にプロになりたいと願うようになった。ハイレヴェルな世界でやれるって思ってたんだ」

――実際にプロになれると感じたのはいつ?

コラロフ「7歳からサッカー始めて、17歳でFKチュカリチュキのプリマからトップチームに移った。そこで将来を真剣に考えた。このまま学校をやめてプロになるのか、それとも勉強を続けるのかってな。俺は前者を選んだ。まあ、その後もできる限り自分で勉強は続けたが・・・。質問に答えるなら、サッカーが俺の人生になるって思ったのはそのときだ」

――インスピレーションを受けた選手は?また、大好きだった選手は誰かいますか?

コラロフ「俺たちの世代てのはさ、1991年にヨーロッパカップを制したレッドスターのファッキン直撃世代な訳よ。特にインスピレーションで言うならばシニシャ・ミハイロヴィッチだよな。ぶっちゃけサイドバックがどうのというよりも、技術の優れた攻撃手が好きだね。マンチェスターシティで一緒にプレーしたフランク・ランパード、スティーヴン・ジェラードは本当に好きだったな。セルビアではロナウドはかなり有名なセリエAの選手だった。パオロ・マルディーニもそうさ。ローマがスクデットを獲得してからフランチェスコ・トッティも特に知られる存在になった」

――昔からサイドバックでプレーをしていたのですか?

コラロフ「いいや、最初はウインガーだった。19歳でサイドバックに転向したんだ。だから俺は11番(アタッカーの番号)を背負ってるんだよ。もっと昔は中盤3枚の左も経験がある。強烈なシュートが打てたからな」

――フリーキックも得意だった?

コラロフ「まあね。ガキの頃からそれなりになんでも出来たけど、プレースキックってのは本当にたくさん練習しないと上達しない。今でも多くの時間を割いているし、それで良いシュートが決まれば、全てはトレーニングの賜物ってわけだ。物事ってのは自分でやるしかない。俺は勤勉さと誠実さを信じてる。目標のためにモチヴェーションを保ち、規律を遵守して、ひたすらトレーニングする必要がある。朝起きて「俺ってサッカー選手なんだよな」って思うだけじゃダメだ。いつかやってくる高いハードルの為に常に準備をしなきゃいけないんだ」

――再び幼少期の話を聞かせてください。セルビアで戦争が起こったのは何歳の頃でしたか?

コラロフ「ハッキリ覚えてる。14だ。数日間、突然戦争の恐怖を感じて、その後その恐怖が終わらないことを知った。運命を決めるのはもっと上のヤツらだと思ったよ。それでも俺たちは普通の生活を送ろうと努力した。学校には行ってなかったから、もうずっとサッカーだけやり続けたね。ストリートでボールを蹴り続けたんだ。夜になるとサイレンがけたたましく鳴って、俺たちは避難した。戦闘機が基地から発信する合図だったからだ。1ヶ月後にサイレンが鳴らなくなると俺たちはマジで夜中までサッカーをし続けた」

――それらがあなたに与えた影響は・・・

コラロフ「戦争体験で俺たちの世代はより早く成長したのかもしれない」

――この時期の理解者は?

コラロフ「兄弟のニコラ。いっつも一緒にサッカーしてた。生傷絶えなかったけどな。部屋の真ん中にボールを置いてさ、お互い反対側の壁からスタートしてボールを奪うんだ。フィジカルを競い合うのにもってこいだ。俺がニコラの鎖骨を折れば、次はニコラは俺の手を折った」

――面白そうな遊びですね!ところで多くの人たちは常にあなたが機嫌が悪いと話しています。否定しますか?

コラロフ「否定?いいや。事実だからな。正しいタイミングなら俺だって冗談のひとつも言うのさ。でもそうしたくないときだってあるだろうよ。例えばピッチの上だ。練習中は笑って和やかに過ごしたりもする。しかし、仕事は仕事だからな。俺は真剣にトレーニングに取り組まないヤツが大嫌いだ。本当に心から煩わしい」
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――自宅では笑顔を見せますか?

コラロフ「家じゃ常に笑ってるよ。あとな、もうひとつ嫌いなことがある。街中で馴れ馴れしく話しかけてくるやつ。あれなんだってんだよ?俺たち知り合いかよって思うぜ。俺がサッカー選手で有名人だからだろ?俺の性格が間違ってるのかもしれないが、それが俺だ」

――ですが、あなたはサッカーを通じて様々な感情を得ているようにも思う。

コラロフ「俺にとってはね、毎日トレーニングをしていて思う感情はただひとつ、勝利だ。試合終了の笛が鳴るといつも肩の荷が下りた気分で、自由になったと感じている。もしも負けたならその夜はテンションが張り詰めたままで眠れない。これが俺たちの商売だ。毎回勝利が嬉しいんだ。3部リーグのチームに勝ったって同じように信じられないほどハイになる」

――これまで最もプレッシャーを感じたスタジアムは?

コラロフ「いくらでもあるけど、アンフィールドはそのうちのひとつだな。ビッグマッチはいつだってプレッシャーがある。だがね、今後もっと多くの経験を積めばいつかはそれもなくなるはずだ」

――サッカー界で仲が良いのは?

コラロフ「たくさんいるよ。友達たちと切磋琢磨してきたんだ。今セルビアを離れて暮らしてるから、そいつらとはなかなか会えないね。ジョルジェ・ラキッチは特に仲の良い大親友だ。レッジーナやドイツリーグ、そして世界中でプレーしている。今でもちょくちょく連絡を取り合うね。エディン(ジェコ)も昔からの親友だな。ダニエレ(デ・ロッシ)も古い馴染みだが、今は同じチームでもっと良く判り合っている。シティのコンパニとは今でも良い関係だよ」

――プレミアでプレーするのは子供の頃からの夢でしたか?

コラロフ「10歳の頃にプレミアを観始めて、そのとき母にこう言ったのを覚えてる。いつかここでプレーするよってね。そして俺のマンチェスターシティが決まって、母に電話でこう言った。な?俺の言った通りだろ?」

――セルビア代表でいるということは?

コラロフ「誇り。誇りだよ。全ての国の選手と同じだ。もう代表キャップも80を超えた。キャプテンでもある。自分のチームだと自覚しているけど、それでも召集の電話を貰うときは毎回気持ちが昂ぶるんだ。俺は国を背負ってやってる。金の為じゃない。ただ誇りの為だけだ。その気持ちを持ち続ける限りセルビアのユニフォームを着続ける」

――それにしても無数のタトゥーですね。

コラロフ「いいや、これはひとつなんだ。ただ大きいだけ。7,8年前に友達と柄を決めてさ、友達がこんなのどうって言って、俺がいいねって言ってそれを彫るんだ。柄には特に深い意味はないね」
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――あなたがローマに来たとき、一部の人間はこう感じました。「ラツィオの選手じゃないか」と。そして、アタランタとのデビュー戦でいきなりゴールを決めましたね。あの時どのようなお気持ちでしたか?

コラロフ「ローマからオファーが届いたとき、選択の余地はないと感じたね。無論、同じ都市のクラブという問題は最初から認識してたさ。だが、一生懸命働けば理解されるのも判っていた。だからアタランタ戦のフリーキックはそれを証明する大きな後押しだったな。それに、俺は過去を振り返らないんだ。俺のキャリアを考えれば、どっちのファンだって満足できないヤツはいるだろうさ。でもそれが現実で、この街のリアルってやつだ。それに、誰もが自分の意見を持っていて、好きに話す権利がある」

――プロを夢見る子供に一言お願いします。

コラロフ「正直言うと・・・あらゆる親が自分の子供には良い結果を望んでいるだろ。でもその中には過剰な奴らもいると思うね。その点俺はラッキーだった。母はサッカーについて何も知らなかったし、父だってプレーした事なかったから、マイペースでやれたんだ。でも、今は10歳の我が子が試合で得点すれば、やれ「うちの子はトッティやデ・ロッシよりも凄い」って騒ぎだすバカ親ばかりだ。それは間違っている。仮に俺のせがれがサッカー選手を目指すとして、その為に必要な才能を持ち合わせていけなれば「お前には才能がない」とハッキリ伝えてあげるのが親の役目なんじゃないか?この業界には、多くの才能豊かな若者がいるが、彼らはみな15,16歳では、ほんまもんのサッカー選手とは程遠いね。まだ学ぶべきことがたくさんあるだろう。つまり、若者たちには正直に何をすべきか伝えるべきなんだ。例を挙げよう。ニコロ・ザニオーロには明るい未来が待っている。俺はザニオーロが将来のために取り組んでいる仕事が好きだ。あいつは正しい考え方で、真剣に頑張っている。仮にもしもザニオーロが調子に乗るようなことがあれば、アイツをシメるのは俺の役目ってことだ。それが、あいつの為に良いと思うからな」

――すでに完成された選手ならばどうでしょう?例えばジェコは過去に何度か批判されました。

コラロフ「俺はその件でロマニスタと話したことはないが、ジェコとはピッチで語り合っている。すでに自分の考えは過去に話したつもりだが、俺たちはジェコのような選手をあと3、4人は欲しい。この仕事には「フットボーラー」と「選手」の2種類がある。ジェコは「選手」だ」
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――他の新加入選手にも同じことが言えますか?

コラロフ「昨日はパトリック・シックの誕生日だった。あいつが何歳か知ってるか?23歳だとよ!21歳でここに来たんだ。あいつは若い、マジで本当にファッキン若い。まだ子供だよな。フォームを取り戻しつつあるから、俺たちは今後多くの得点を期待してるんだ。でも、その年頃なら時間が必要でもある。あいつは俺とは違う。俺はもう32で経験も積んだ。つまり人によって評価は異なるんだ。ローマには若手が多いが、今はみんな調子を上げてきた。みんな優秀な選手たちだよ」

――デ・ロッシはローマのカピターノです。例えプレーできなくとも彼のような選手はチームに何かをもたらします。

コラロフ「ダニエレはチームとって不可欠だ。俺のキャリアで、あそこまで所属しているクラブの大ファンを見たことがないね。俺はローマの為に全力を尽くすが、それでもデ・ロッシ以上のロマニスタだなんて口が裂けたって言えやしない。マジでこれほどまでユニフォームと深く結びついた人間を俺は見たことがないんだ。例えプレーできなくてもロッカールームにはいなくちゃいけない人物だ。そのダニエレがチームトレーニングに復帰した。それだけですぐにチームの雰囲気が変わったんだからな」

――あなたはインタビュー嫌いで有名ですが・・・・

コラロフ「ああ、間違いないね」

――シーズンの終わりにもう一度インタビューしましょうよ。

コラロフ「今日は別に問題なかったが・・・さあ、次はどうだろうな」

<了>

如何でしたでしょうか。個人的に興味深かったのは、格下相手に勝っても同じように嬉しいというくだりですね。それって、サッカーを通じて自分の限界と戦っているからなのかなと思いました。もしかしたら、相手が誰であっても同じ準備をして、同じモチヴェーションでプレーするという気持ちこそ俗に言う勝利のメンタリティのひとつなのかなと思います。明日のアタランタ戦は、その気持ちを全員で持ってしっかり戦って欲しいですね。全力で戦った結果ならば、それがなんであれロマニスタたちは拍手を送るのだと思います。

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