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おはようメルカート:最終回『この街にも出会いと別れの季節』

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1人で部屋にいた時の如月は悶々としていた。「あー、おっぱい見てぇよぉぉぉぉ」カチャ「ちわーっす、きーちゃん開いてる?」「す、すう!お前、居酒屋の暖簾くぐるみたいにベランダ越しにうちに来るなよな!」「まあいいじゃん、というかさ、心の欲望の声がダダ漏れしてましたぞ、セ・イ・ネ・ン」「な、なにがだよ」「おっぱいみてぇよぉぉぉぉ~」「すう、やめろって!メタルのハイトーンボイスで叫ぶんじゃない。体裁が悪い」「そもそもきーちゃんが叫んでたんだよ。若いっていいねぇ、うん実に良い。今月の夕飯は全部きーちゃんのおごりだね」「ふざけるなよ」「オッパイミテエヨー」「このクソが、勝手にしろ!」「きひひひひ」「このクソデブチビメガネブスめ」「きーちゃん、いくらなんでもひどいよ。私、別にクソデブでもチビでもないし、メガネもかけてないのにさ。まあ、きーちゃんからしたらブスかもしんないけど・・・」「・・・」「なんか言ってよぉ」「ん、まあ、あれだ。仕方ないから俺の奢りで飯でも行くか(俺にとってはブスどころか世界で1番かわいいとか今更言えっかよ)」きゅーん
という夢を見ている間にメルカートが終わりました(きゅーんまでが夢)
というところで、真面目なヨーロッパサッカーファンをあらかた振り落としたと思いますので、残り僅かなバッドでナイスな野郎どもに向けて更新していくとします。どいつもこいつもサッカーごときで一喜一憂しやがって、ほんとバカなやつらだぜ。そんなバカが大好きだ!

てなわけで、変なムードに包まれたへんてこなメルカートが終わりました。株主総会後、メルカートに取り組む時間が実稼働6日くらいで、このタイトスケジュールをどうにか駆け抜けた。フィエンガ社長をはじめとしたローマのみなさんにはお疲れ様でしたと言いたい。特にチキンレースとまで揶揄された(ぼくが思ってるだけ?)スモーリングの交渉をまとめたのは見事の一言。
昨年のコミッソのフィオレンティーナを見ていると、来年の夏はこっちもそれなりの補強ができるのかなとは思いますけど、この夏にある程度、収支面含め戦力を整えることは出来た。

しかし、残念ながら、昨日お伝えしたエルシャーラウィの到着は成らずでした。これには明確な理由が伝えられています。交渉デッドラインを目前に、オルセン、クライフェルト、ペロッティの放出と、スモーリングの獲得を最重要目標としたことで、エルシャーラウィ獲得の技術的なオペレーションの時間が取れなかったからとのこと。
ジャンルカ・ペトラーキが去り、その右腕でトリノ時代から共にメルカートの法律面を担当してきたロンゴがディアワラの件で辞任して、ローマの人事部が混乱したのは想像に難くない。この時期のスポーツディレクターは、クラブハウスに泊まり込みで仕事をし続けます。それほどの激務をこなすメルカートの指揮者と法務担当がいなければ、それはディレクター代行のフィエンガ社長にとってもハードデイズというのもの。ペドロ、クンブラの入団会見を全て部下に任せて一切メディアの前に出てこなくなったのも納得です。
エルシャーラウィは、ローマに家を持っているという理由から、他の選択肢を検討しなかったのかもしれませんが、もしもこの両得の契約が実現したならば、ケーキの上にイチゴを乗せるようなメルカートだったはず。これも含めて、この夏のローマはおかしかったというか、ズレていたというか、パロッタ期の膿を出すための忍耐の時期と言うしかないです。

ちょっと話は逸れますが、実際にこれで新しいスポーツディレクターが来て、物事が健全になるのかといえば、これはいささか判断が難しい。車のシートは傷んだら交換すれば良いけれど、燃費が悪くなる理由はひとつではないわけで、サッカークラブという緻密で特殊な構造を持つ組織では、スポーツディレクターを交代させたところで、根源的問題は取り除くことは出来ない。なぜローマは毎年冬に失速するのか?誰が何をしているのか?ローマを壊したのは本当にバルディーニなのか?ロマニスタがそう言えば言うほど、本質的な問題が隠蔽されていくように思います。
といった内容のレポートをnoteで公開しようと思います。noteの有料記事にするのは、自己責任かつ、不特定多数に自由に見せたくないからなのですが、もし公開しなかったらごめんなさい。

閑話休題。
その他クライフェルトがライプツィヒ、オルセンがエバートンに行きました。そのどれよりも、ディエゴ・ペロッティのフェネルバフチェ行きは大きな衝撃です。ぼくにとって、ディエゴはマラドーナではなくペロッティ。あのデュエルを好むタイプのドリブラーは今のサッカー界ではそうはいない。古いタイプと思いきや、ボックス内のハーフスペースに飛び込んでシュートを打っていたのは知る限りローマではペロッティだけ。天才肌に見えて、努力の跡を感じるところが好きでした。夏休みを返上して個人トレーニングをしてプレシーズンに合流したり、やはりこういった努力が劇的な幾つかのゴールに繋がったように思います。惜しむらくは、1シーズン通してなかなかプレー出来なかったところで、もっと主力としてリーダーとしての活躍が見たかった。
こうして綴ると、色々思い出されて、スモーリング復帰よりも長くなってしまう。つまり、記録より記憶に残る選手でした。またいつか会おう!

コメント

  1. 匿名 より:

    ペロッティ、仕事人ぶりが大好きな選手でした。バンディエラ二人のラストゲームで決めた2ゴールは一生忘れません。

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