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【ロングインタビュー】エルシャーラウィ「ローマはぼくを家族のように迎え入れた」

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エルシャーラウィ、久しぶりのロングインタビューです。16歳でプロデビューを果たし、若くしてミランでブレイクした天才肌のジョカトーレはこれまで多くのインタビューを受けてきました。ローマ復帰後初となるアップデートヴァージョンをお楽しみください。


あなたのニックネーム『ファラオーネ』の由来は?

エルシャーラウィ「あれはね、ジェノアのプリマ時代の話なんだ。あの頃のぼくたちスクデット、コッパイタリア、スーペルコッパの3冠を達成した本当に強いチームだった。スクデット決勝戦でぼくたちはエンポリに2-1で勝利したんだけど、そのときぼくは客席に向かいファラオのジェスチャーをしたんだ。その試合のマッチレビューを書いたジャンルカ・ディマルツィオ(ジャーナリスト)が、ぼくのジェスチャーに言及してそれがニックネームの由来になったんだよ」

18歳であなたはミランの一員になりました。その時の気持ちを覚えていますか?

エルシャーラウィ「もちろんだよ。ミランは子供のころから応援していたチームだったから、またひとつ夢が叶い、大きな感動を覚えた。フォスキ監督がぼくのところにやってきて、今代理人とガッリアーニさん(ミラン副会長)が話し合いをしていて、ぼくがミランの選手になると伝えてくれた。その夕方にミラノに飛び、最初に会ったのが夕食後のコーヒーを飲んでるアバーテとネスタだった…あれは本当に素敵な思い出だよ」

その後、モナコにレンタルで移籍して、冬にローマに到着しました。

エルシャーラウィ「ローマはぼくを第二の家族のように迎え入れてくれたね。最初から大きな愛情に包まれていた。一度中国に移籍したけど、復帰するまでもその愛情は続いていたのも嬉しかったんだ」

始めてトッティと会ったときどのように感じましたか?

エルシャーラウィ「フランチェスコは、ぼくが会った中で畏敬の念を抱いたただひとりの選手だと言える。そして、彼の性格を知るうちに、トッティは気さくで、謙虚で、素晴らしい人物であることが判った。彼と一緒にプレーできたのはぼくにとって大きな喜びだったね」

あなたはトッティだけではなく、デ・ロッシ、そしてペッレグリーニと、ローマのバンディエラと一緒にプレーした経験を持つローマ選手になりました。

エルシャーラウィ「ダニエレ・デ・ロッシは真のリーダーであり、指導者で、グラディエーターだと言える。ダニエレとフランチェスコはこのクラブの歴史を作った偉大なふたりのバンディエラだ。特にダニエレはピッチの内外でリーダーだったと思うね。多くの選手にとって、彼は常にチームをけん引するリーダーで、適切なタイミングで適切な言葉を発することができた。ロレンツォ・ペッレグリーニもまた彼ら同様、これまで歩んできた道を見れば、ローマにとって運命的な選手なのだと思う。サッスオーロから戻ってきて、キャプテンマークを託された。フランチェスコ、ダニエレの次にローマの腕章を巻くことは誰の目から見ても簡単なことではない。でもロレンツォはピッチの上で素晴らしいパフォーマンスと結果で応えている。個人的にはロレンツォは友人でもあるので、人間的な成長も見続けてきたんだ。彼は自分のパフォーマンスレベルを落とさない最適なバランスを見つけ出したと思う」

あなたはローマで、バルセロナを破ったオリンピコの奇跡、そして、ティラナの夜を体験しました。都市が祝賀ムードに包まれるのをどのように見ていたのでしょう?

エルシャーラウィ「カンファレンスリーグ準決勝のホームでも、すでに優勝のような熱狂が街を包んでいたんだ。試合前のスタジアムを見ながら、スタッフや道具係と「ぼくたちがレスターに勝てないわけがない。これほどまでにロマニスタの熱意と温かさを感じるのだから」と話ていたんだよ。あのような空気は、2018年のリヴァプール戦ですら感じることはできなかった。ロマニスタたちはこれまで苦しい時期もトロフィーを待ち望んでいたのだから、カンファレンスリーグ制覇は当然の結果だと思う。当然ぼくたちにとっても正当な報酬だった。翌日バスに乗って凱旋バスツアーに参加したとき、人生で最も美しい感動を味わった。コロッセオでトロフィーを持ったとき、バスを囲む人々の歓喜の声は他では感じることできない瞬間だったよ」

<了>

 

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