セリエA、6月20日再開へ。
昨日、ヴィンチェンツォ・スパダフォーラ・スポーツ相は、FIGCらとの会談を経て、セリエA、コッパ・イタリアの再開を認めました。本日発表の見通しです。
今後、カンピオナートが再び停止した際にはプレーオフや現状順位による確定といったプランB、プランCが準備されます。
再開は、6月20日、北部の感染拡大を受けて中止した25節の4試合からになると言われていて、ローマちゃんの登場は、翌週23日か24日のどちらかでサンプドリアを迎えたオリンピコのホームゲームとなるでしょう。
約3ヶ月半の中断がどのような影響をローマに与えたかはわかりませんが、これから8月2日までほぼ週2試合のペースで試合が続きます。また我々にとっても忙しい日々が始まりますね。
長い間、自分にとって日常であり、当たり前に存在していたセリエAが無くなったこの数ヶ月は、その価値をしみじみ実感しました。
この中断時期には、リモート観戦会を開き、zoomを使ったいくつかロマニスタ会にも呼んでもらいました。また普段縁遠いSNSもたくさん見ました。色んな世代の意見を知ることができたのは、週末に試合がなかったからですね。
例えば、ぼくたちロマニスタってのは、ヨーロッパサッカーファン100人並べた中に3人くらい紛れたとしても、そのほとばしる熱量で「あの3人ってローマファンだよな」って一目瞭然でバレるわけです。なぜなのか?簡単です。その3人だけローマのユニフォームを着ているからです。
それなら判って当たり前?いや、違いますね。好きなクラブのユニフォームを身につけたり、グッズを携帯するのは愛情がなきゃできないことです。仮にロマニスタであっても「いい歳してユニフォーム着るとかないよな」とか「人に見られたら気まずい」と思ってしまえば簡単にやらなくて済むことで、これが出来るのは自分の帰属先を強烈に理解してるからなんです。最初の例え話に戻るなら、少なくともその他97名のヨーロッパサッカーファンにはできないことじゃないですか。ユニフォームを着るというのは、最もシンプルで、最も周囲に伝わり易い熱量の具現化のひとつ。愛でしかない。
ただこれが、100人のロマニスタたちだったらどうでしょうね。100人ユニフォーム着用してくるので、その中で誰がより高い熱量、強い愛を持っているかはもう傍目には判らない。そこでようやくロマニスタとしての姿勢が問われる。いかにレアなユニフォームを着ていようと、そこに言動が伴わなければ、97人のヨーロッパサッカーファンから尊敬を集めてたとしても、残り3人のロマニスタには底が知れてしまう。1番共感して欲しいのがその3人じゃないですか。そんなふうになったら悪夢ですよ。
もちろん、ユニフォームを着ずともローマを体現している人というのは確かに存在している。そういう人は声のトーンで「この人ローマ好きなんだなー」とほっこりした気持ちになりますし、また選手ならば、ナインゴランはローマ生まれじゃないけど、クラブを離れた今でもバンディエラのようなリスペクトを集めているのは、彼がロマニズモをその生き方で示しているからに他ならない。
ここ最近、日本のローマファンが姿勢、アティテュードを問われている・・・ところまで来ているかは正直判らないけれど、そういう素地が必然か偶然か、作られているようには感じ始めています。借り物の文化ならば、ぼくたちはファッションでラツィオを叩いていればいいけれど、ラツィオを叩かなくてもロマニスタでいられる日本ならではの土壌が出来つつある。
ローマ速報やnote、Twitter、Instagramを10年前と変わらぬ愛情とテンションで更新するのは自分なりのロマニスタとしての矜持であり、その結果、ローマ速報のテキストが今後中国のローマコミュニティで翻訳されるような話もあるし、これまでローマとシンクロしなかった自分の得意分野をローマに活かせそうな予感もしています。ぼくは初めてローマを知った日と全く同じ熱量、なにより初期衝動を今でも持ち続けていて、これをもういいやって自然に思う瞬間まで続けたい。もういいやって思う前に老衰して死ねたら最高だ。
つまりセリエAが止まっている間にぼくはその熱量を持て余すことなく、より頑張りたいのだと思ったのが総括でしょうか?あと死ぬ時は老衰が良い、と笑
ですので、間違ってもサイトを更新するのは広告収入の為ではないので、そこは呉々も誤解なきように。ぼくのローマ愛が疑わしいならそう言うといい。広告なんかいくらでも外してみせるよ。
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