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ダヴィデ・サントン「ペッレグリーニはぼくをチームに戻そうとしてくれた」

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この夏現役を引退したサントンが、メッサジエッロのインタビューでローマについて語っています。ペッレグリーニ、恩師モウリーニョについてのエピソードにも触れています。


サントン「ローマでの最後の1年は追放されたようなものだった。徐々に考える時間が増え、最後には引退を決意するに至った。そしてローマと話をして合意の元、契約を終わらせたんだ」

この1年間どこからも声が掛からなかったのでしょうか?

サントン「いいや、提案は数多くあったさ。フラム、フィオレンティーナ、サンプドリア、スペインも、トルコからもいくつかのクラブが打診してきた。世間的にはぼくがそれらの申し出を断ったことになっているが、そのような事実はないんだ。問題は、契約書にサインする前のメディカルチェックだった。ぼくはピントGMに、移籍したくないわけじゃないけど、今行ってもメディカルチェックをパスしないと思うと説明した」

その時、モウリーニョ監督はどうしていたのでしょう?

サントン「干されたのはジョゼの判断じゃないと思う。チームメイトと話していて、ペッレグリーニがぼくをチームに復帰させようとしているのが判った。カピターノがそう考えるのだから、監督もぼくをチームに加えたかったに違いない。だから決断はクラブによるものだと思っている」

インテル時代のジョゼ・モウリーニョと何が変わったのでしょうか?

サントン「いいや変わってないね(笑)彼は変わらずぼくのことをバンビーノと呼んでいた。誰だって年月と共に年を取るだろうが、ベンチで見かけるモウリーニョは、インテル時代となんら変わらぬ情熱と愛情を持っていたよ」

モウリーニョとの思い出は?

サントン「もしかして、モウリーニョの元でキャリアを始めて、モウリーニョの元で引退したのはぼくが最初かもしれない。そうだね、思い出もあるよ。かつてロナウドが在籍するマンチェスターユナイテッドとインテルは対戦した。ぼくは自分でも満足いくプレーをして、オールドトラッフォードを0-0で終えたんだ。翌日ピネティーナ(インテルのクラブハウス)に戻り、リカバリーをしていると、モウリーニョ監督が厳しい表情でやってきてぼくにこう言った。「ダヴィデ、お前は昨日クソみたいなプレーをしたのを自覚しているのか?私が何を指示したか覚えてないのか?」彼はとても怒っていた。ぼくは昨日のプレーを懸命に思い返した。その後監督は他のチームメイトと話をして、去り際にぼくの方を見た。目が合うと、ジョゼは最初に微笑み、その後見たこともないような大声で笑った。そう、まだ若造だったぼくをからかったのさ(笑)」

土曜日はインテル対ローマ、あなたの古巣対決です。

サントン「どちらも不運な敗戦の後で勝利を求めて戦うはずだ。勝敗はカンピオーネが違いを生むだろう。つまりディバラとルカクが勝敗を分けるだろうね」

<了>

コメント

  1. 匿名 より:

    彼はかわらずボクのことをバンビーノと呼んでいた
    で涙が、、、
    ローマ戦でモウリーニョの元デビューし、ローマで再会して引退をする
    運命的なものを感じますね
    すべての道はローマに通ずでしょうか
    彼のこれからの人生が素晴らしいものになりますように

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