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【いつまでもお元気で!】クラウディオ・ラニエリ監督名言集

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クラウディオ・ラニエリが監督業を引退します。ローマ生まれの生粋のロマニスタで、1973年にローマでプレーをして、引退は監督として、カリアリ、ナポリ、フィオレンティーナ、バレンシア、アトレティコ・マドリー、チェルシー、インテル、ユヴェントス・・・快挙に暇がないほどの豪華な経歴を持つヨーロッパの名将になりました。様々なチームを立て直すなかで、シルバーコレクターとも揶揄されてきたラニエリのキャリア最大の成功は、2016年のレスターシティのプレミア制覇でしょう。
その後、再び成績不振のローマからの10数試合限定という、輝かしいキャリアを持つ監督には失礼極まりないオファーを快諾します。ラニエリも、そして今回のデ・ロッシも、自分の愛するクラブの危機を何があっても助けたいと考えたのです。

今回のローマ速報ではラニエリの名言をご紹介します。ミステル、いつまでもお元気で!


2019年6月 ローマを去る前のインタビュー

「私はフィールドに立つ男。私の未来はこれからもベンチにある」

2019年5月 デ・ロッシのローマ最後の試合の前日会見

「デ・ロッシは常に全てを与えようとしてきた。それは必ずしも、常に最高のパフォーマンスをしているという意味ではなく。常に100%の努力をするという意味だ。それがチームやロッカールームに良い影響を与える。だから、困難な時、チームメイトは必ずデ・ロッシを頼るんだ」

2019年5月 ローマについて

「「ローマのベンチでいつだって私は感情的になってしまう。だからクラブアンセムを聴いた後にピッチサイドへ出ていくんだ。そうでなきゃ冷静な頭でいられないからね」

2019年5月 多くの戦術的バリエーションを持つことについて

※ラニエリはシステムをいじり過ぎることから『ティンカーマン(ダメな修理工)』というニックネームも持っていた。

2019年5月 ローマ退団後、ひとりのロマニスタに戻るのか?という質問に対して。

「戻る?私は一度もロマニスタでなかった事なんてないさ。この後も常にロマニスタであり続けるよ」

「私がシステムをいじり始めたのは1990年のカリアリからだね。その頃はどこのチームも3-5-2で戦っていたんだ。ミランのアリゴ・サッキだけが4-4-2フォーメーションだった。私はシーズンの後半にこれらを使い分けながらゾーンディフェンスにシフトしていった。そしてチームは最終節を残して残留を決めたんだ」

「チームをいじるのは大好きさ!」

2019年4月 ローマとインテルの監督経験について

「成功と失敗は、ほんの僅かなディテールで決まる」

「私の道は常にローマとカリアリを照らしている。どちらも私のルーツ、心のクラブなんだ」

2009年9月 最初のローマ就任時のコメント

「二日前までなにも聞かされていなかった。突然、本当に突然一本の電話が鳴って、私の運命を変えたのだよ。この街に私は多くの思い出がある。私が何を感じているかわかるだろう?そう、ローマを指揮するのは私の夢なのさ。我々はここから前進する」

2009年10月

「23歳のときにカタンザロでプレーするためにローマを離れたか。58歳の今、ようやくローマに帰ってきたんだ。私の心のチームに戻ってくるまで35年も経っていたよ」

「私がローマに取り戻したいのは熱意だ」

「初めて選手たちに会ったときこう言った。戦術なんて忘れよう。まず試合を最初から最後まで戦うべきだ。必要なのはキミたち一人一人が情熱を取り戻すことだ」

2010年1月 ユヴェントス戦勝利後のコメント

「試合後、ユヴェントスの全員と挨拶をしたよ。フロント以外の全員とね」

スクデット獲得で銅像が建つと言われて一言

「この国で銅像が建つのは死んだ人だ。いつかは死ぬが今じゃない。私はベンジャミン・バトンじゃないのだからちょっと待って欲しいね」

「ローマはアバターより面白い」
※アバター:2009年に大ヒットしたSF映画

2011年 ローマ退任の挨拶

「私は常に選手たちにはローマの旗を高く掲げていて欲しいと望んでいた。今の私は一人の男として、とても大きな畏敬の気持ちを伝えたいと思う。全てに感謝する。私の心のチームを指揮するというチャンスをくれたセンシ会長に。そして、勝利の為に私と一緒に全力疾走してくれたトリゴリアの全員に。そして応援してくれたロマニスタのみなさんにもだ。Grazie ROMA!」

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