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彼はどのようにして戦争に勝ったのか/how london was won?

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お、お、おっぱい・・・ふかふかの巨乳に顔を埋めて気絶するように眠りたい・・・デス(death)。というのも昨晩、ご存知の方もおられると思いますが、なかなかに人のモチヴェーションを奪うような出来事がありまして、無気力症候群というか、2008年のロナウジーニョくらい燃え尽き症候群に襲われ、まあほとんど死んでいた、死んだ魚の目をしていた。これはトッティの話だけじゃないですよ。
日曜日は日曜日で、外で食事していたら全身ユヴェントスのアパレルで固めた若い夫婦に遭遇して、実に羨ま、いや、大人がペアルックて恥ずかしくないんですかねーって思いましたよね。ふ、フツーそんなんしないっしょ?更には帰宅してネット見たらサッリのユーヴェ入りが決まってたというね。サリーちゃんの替え歌で浮かれてんじゃねえぞ!

てなわけで、今週のぼくは非常に苛立ちを隠せずに爪を噛んで腐っている。カッサーノに説教された直後のワンダ・ナラくらい不貞腐れていると書けば判り易いだろうか。
そんな自分にもたらされたトッティ退社というあまりにも好ましくない歴史に残る日でもあった。そのダブルパンチで気分はU2。
会見はトリゴリアではなく中立地CONI会館で行われ、事前の話では、この様子をテレビ局各社が生放送すると聞きました。ROMA TVも生配信すると何かで読みましたが、実際に放送していたのかは判りませんね。

2年前、ぼくたちに「辞めるのが怖い」と言った男が、なぜ自らクラブを去らねばならないのか。その会見をダイジェストでお伝えしておきたい。776bc96f84c429276c2829671819143d

トッティ「みなさん、今日はお越し頂いてありがとう。そして、まずはこの場を設けてくれたCONIのマラゴ会長にもお礼を言わせて頂きたい。本日の12時41分、フィエンガ社長にメールで退職を伝えた。とても辛い日にはなったが、状況を考えればこの決断をするに適切なタイミングだとも言える。これまで俺には、自分の仕事を表現する機会が与えられなかった。俺は常にこう言ってきた。誰がクラブを所有しようとバンディエラは残り続けるのだと。それを長い間ずっと考え続けた。この結論に至ったのは、俺のせいではないと言いたい。今はそれ以外はなにも言えない」

――では誰の責任なのでしょう?

トッティ「いま話したが、自分のせいではない。この2年間、俺には満足な仕事が与えられなかったのだから。彼らはプロジェクトの技術的なエリアに俺を加えなかった。1年目ならばそれは起こり得る。2年目も変わらなかった。一切何の協力関係もなく、必要な時だけ連絡をしてきた。彼らはあらゆるものから俺を閉め出した」

――あなたがクラブを去ることで傷つく人たちがいます。その人たちにさよならではなく、また会おうと言ってもらえませんか?

トッティ「彼らにはありがとうと言いたい。常に俺をリスペクトしてくれて、最高のサポートをしてくれた。今、ファンに言えるのは、変わらぬサポートをチームに続けて欲しいということ。ローマはこの世界で最も重要なクラブだ。それは常に支持と尊敬をされなければならない。ロマニスタは他の誰とも違うより大きな愛を持っている。その愛は終わらない。だから、俺はクラブからは離れるが、変わらずにローマを応援し続ける。先程の質問に答えるならば、これはあばよ(アディオ)じゃない、また会おう(アリヴェデルチ)だ」

――クラブは脱ローマ化(deromanizzazione)、脱トッティ化(Detottizzazione)という方針だったのでしょうか?

トッティ「何人かの狙いは、ローマ人をクラブから追い出す事だ。この8年間、彼らはそれを試み、年を追う毎に締め付けを強め、最後にはとうとうすっかりそれを成功させた」

――フランコ・バルディーニとの関係は?

トッティ「関係?そんなものは最初からないし、今後もないね。俺が去るという事実は、クラブとの間になにかあったのだと考えるのは自然だ。2人のうちどちらかが出て行かなければならなかった。俺を追い出そうという力が勝り、おれははじき出された。トリゴリアでどんな議論をしようと、常に答えはロンドンからやってきた。現場でこれが間違っている、こうした方がいいという話には誰も耳を傾けなかった。ロンドンの神託を待っていたからだ。時間の無駄でしかなかった」

――どうすればあなたはローマに戻れますか?

トッティ「まずは経営者が変わらなければならない。俺は引退したとき以上に傷ついている。まるで死んでるみたいに感じるんだ。むしろ死んだ方がまだマシだろうとも思う」

――実際にクラブからテクニカルディレクターの仕事は提案されたのでしょうか?

トッティ「俺がテクニカルディレクターになりたいと伝えた。別に現場の全権指揮が欲しいわけじゃない。もっと実務に貢献したいと考えていただけだ。先週俺はロンドンには行かなかった。その2日前に監督が決まったと連絡を受けたからだ。どの世界に監督やスポーツディレクターの選考をしないテクニカルディレクターがいるのだろうか?スポーツディレクターについても俺はどうなっているか判らない。俺が唯一話をしたのはコンテだけ。ミハイロヴィッチ、デゼルビ、ガットゥーゾ、ガスペリーニ、彼らとコンタクトを取った事実はない。これはハッキリさせておきたい」

――なぜコンテとサッリは来なかったのでしょうか?

トッティ「サッリとは話していないからアントニオについてだけ言うと、彼がローマに来るとしたら、それは改革の為だった。しかし彼は改革ではなく継続したいと考えた」

――もしもバルディーニが去った場合、あなたはローマに戻りますか?

トッティ「例え彼が去っても俺はローマに戻らない。一度割れた花瓶を元に戻すのは難しい。俺はパロッタとバルディーニに思うところがあるわけじゃない。彼らは彼らの選択をして、俺はそれを尊重するってだけ」

――デ・ロッシの別離についてどうお考えでしょう?

トッティ「答えは簡単だ。昨年9月に俺はフロントにこう進言した。もしも今シーズンがダニエレのラストイヤーになるならば、それをすぐに彼に伝えてほしいと。俺にした事を彼にしないでくれと。ご存知の通り、ダニエレは怪我をして、モンチとディフランチェスコが去り、状況は複雑になってしまった。しかし真の問題は、トリゴリアで決定を下すのに時間が掛かり過ぎているということだ。本来責任者が1人いれば、10人の承認を得る必要などないんだ。あるタイミングで俺はディレクターではなく、一人の友達としてダニエレと話をした。将来を見据えて、前を向いてくれと。ディレクターである俺は多くを伝えるわけにはいかなかったが、友人として、問題が近づいているとだけアドヴァイスした。しかし最後には俺と同じ状況が起こった。俺が認識する中で、これらは意図的に行われたと思っている。ローマからローマ人を排除する為にだ」

――来季、オリンピコにローマを観に行きますか?

トッティ「なぜそれができないのだろう?俺はロマニスタだよ。クルヴァスッドに行くだろうね・・・まあ、そんときはウイッグでも被らないといけないだろうけどさ(笑)もし俺が他のクラブでプレーしていなければ、ダニエレを誘って観に行くよ」

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彼らは、アメリカ主義でローマのブランド力を高めようとした。ホール・オブ・フェイム、ウォルト・ディズニー、NBAのチケット購入システムといった真新しさを取り込んだ。これらがイタリア人に目新しく映ったのは、遠く日本からでも手に取るように判った。2011年に新風が吹いていた。しかし、アメリカンローマは2013年まで、スクデットレースにすら加われない状況が続いた。

その後、トッティが引退して、ディフランチェスコとモンチ体制が風前の灯となった今年の2月に、ローマは意外な評価を受ける。チャンピオンズリーグのスタメンに7名のイタリア人を起用したからだ。2015年のチャンピオンズリーグ準決勝で、ユヴェントスが起用した自国選手よりも1人多いイタリアのクラブ。それは、ロシアワールドカップを逃したイタリアサッカーの明るい話題だった。

故障者が続出する現場の苦肉の策を、経営陣は不振による非難から逃れるローカライゼーションと考えた。モンチはこう言った。「私は学んだ。イタリア人を育てれば、高い選手を買う必要はなくなるだろう」しかし、それはファッションである。ファッションにはモードがあればいい。血と肉は要らない。

当初、パロッタ会長をはじめとした投資家たちは、ローマにアメリカの服を着せればすぐに売れるものが出来ると考えたのだろう。だから彼らは、我々のエンブレムの一部を省略して大量生産の容易なものへ単純化した。一方で、2017年にユヴェントスは、だ円形のエンブレムをアルファベット一文字でパターン化した。どちらがより商業的なデザインかはわからないが、少なくとも、後者は日本の若い夫婦が嬉々として着るほどにファッションを邪魔せず、知っている人の目に留まる。

ローマのイタリア回帰はある程度進むだろうが、アメリカ人は濃すぎる血を好まない。
デ・ロッシ、トッティを失い、オリンピコの奇跡を成し遂げたメンバー、ジェコ、コラロフ、マノラスも失う可能性がある現状で、ローマはいったいどうやって我々の誇りと尊厳を取り戻してくれるのだろうか。心臓よりも高く旗を掲げるというのだろうか。


ところで、噂通りワルテル・サバティーニはボローニャのテクニカルアドバイザーになりましたようです。そろそろ一所に落ち着いて手腕を見せて欲しいですね。

――今日トッティはローマとの2度目の別れを告げました。あなたのお考えはどのようなものでしょうか?

サバティーニ「ローマの内部の話にあまり関わりたくはないが、ひとつだけ言わせてもらうならば、トッティのディレクターとしての立ち位置の曖昧さは、長年の曖昧さに起因している。この契約は彼がまだ現役時代の頃に結ばれたもので、フランチェスコが引退した後に始まるものだった。本来はその時点で明確な役割を決めるべきだったが、そこをだらだらと計画性を持たずに曖昧にしてしまったのだろう」

――どのような意味でしょう。

サバティーニ「トッティが言っていたじゃないか。彼らは困ったときだけ自分に連絡をしてきた、と。つまりトッティというディレクターの必要性を知っていたということだ。少なくとも、トッティはこの数ヶ月テストに値しただろうね。彼のセッカーセンスは非凡だ。問題に対処する為の大きな助けになったと思う」

――そもそもテクニカルディレクターとはどのような業務なのでしょう?それはトッティに可能な仕事だったのでしょうか?
サバティーニ「テクニカルディレクターの仕事は選手を選ぶだけじゃない。チーム作り、コーチ、メディカルチーム、そしてチームスタッフとあらゆるものを決める。トッティは20年以上トリゴリアで過ごしてきた。であればその仕事は適任だと私は思うね」

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