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デ・ロッシ「トッティとは20年共に戦ってきた」

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GQ italiaの2月号の表紙がデ・ロッシということで、これって日本版だったら本田圭佑が表紙を務めるみたいなものなのかなと思ったら、既にケースケ・ホンダはGQ japanの表紙になったことがあるみたい。
それはまあいいとして、エグゼクティブ向け男性情報誌にダニエレというのもなかなか良いですね。インタビューはパオロ・コンドさんで、彼はトッティの自伝の共同著者だったりします。昨年末に新作のサイン会でトッティとトークショーしてました。

このインタビューで、ダニエレはローマとの別れについてこう回想しています。

デ・ロッシ「ブエノスアイレスのさよならは悲しい日だったが、本当の痛みはトリゴリアだった。オリンピコに向かうために、部屋を出た瞬間「ああ、このドア閉めるのもこれが最後なんだな」と思うと、俺は自分が震えているように感じた」

またイタリア国内でプレーしなかったことについては──

デ・ロッシ「セリエAの幾つかのクラブからオファーはあった。だけど、ローマ以外のユニフォームに袖を通すのは、俺の美しい物語を台無しにすると思ったんだ」

選手として、引退についても話しています。

デ・ロッシ「体調が問題なければ、俺はまだローマでもボカでもプレーできる。でもほぼそうはならないだろうね。もう36歳で、フィジカルも落ちている。なにより、娘のガイアの為に戻って来た方が良いと感じた。彼女はまだ14歳で、普通その年齢なら父親が側にいるのは当然のことだ」

娘のガイアさんは前妻との子供で、親同士の関係が悪化する時期を体験しています。多感な年頃の娘の成長をサポートしたいと考えたのが引退のもう一つの理由なのだそうです。

そして親友フランチェスコ・トッティについて。

デ・ロッシ「俺たちは20年間共に戦い、ゴールの後には包容をかわした。ピッチの外でも合い、昨年はなかなか会えなかったけど、話をしれば最後には笑顔で別れた。フランチェスコの引退は本物の悪夢だったよ。パパとママのケンカに巻き込まれた子供のような気持ちになった。スパレッティ監督とトッティについてたくさん話をした。状況は不条理だった。チームが勝っても監督は非難されて、トッティはローマが良くなることを望まないと書かれたんたからな」

これらは既に終わった話であり、同時にローマというクラブの難しさでもあります。先日パヌッチが、右へ行けば非難、左に行っても非難されるのがローマと話しておりました。確かにその通りで、目先のちょっとした石ころに大騒ぎするのがローマファンなのかもしれませんが、今後、ダニエレがどのようなキャリアを歩むか、そこは急かさず慌てず、楽しみに待ちたいですね。

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