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エブリマ・ダルボエ「リビアで拷問と虐待を受けていた」

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ダルボエが難民ボートでイタリアに渡り、サッカー選手になった話は以前ローマ速報でお伝えしたと思います。知らない方はまずはこちらをご覧ください。

現在20歳のダルボエは、昨シーズンのフォンセカ期にローマの中盤を支える活躍をして、その生い立ちもあり一躍脚光を浴びた。しかし、モウリーニョ体制では、7節のエンポリ戦で63分プレーしただけで、ベンチにすら入れない状況が続いている。しかし、ガンビアは現在行われているアフリカネーションズカップにダルボエを呼んだ。このインタビューは大会期に行われたもの。果たして彼からどのような言葉がでてきたのだろうか?


バコテの村にいたころ、アフリカネーションズカップでプレーする自分を想像していましたか?

ダルボエ「子供のころから、いつかヨーロッパでプレーして、ガンビアの選手としてみんなにしってもらいたいって思ってたんです。だからプロになるとは思っていましたけど、まさかこんなにはやく代表召集を受けるとは想像できませんでしたね。ガンビアの一員としてこの大会でプレーするのはひとつの夢でした。実現するのは困難だと思っていましたが、ずっと信じていましたし、いつかアフリカネーションズカップやワールドカップでプレーする日が来ると信じていました。ぼくたちには才能ではなく方法がないだけなんです」

決して恵まれた環境とは言い難かった状況で生活しながら、ヨーロッパでプロになると信じる強さはどこから生まれたのでしょうか?

ダルボエ「信仰。ただそれだけを強く信じていました。自分の資質には自信があり成功できると思っていたのです。だからなんとしてもガンビアを出る必要がありました。とにかくイタリアに渡って、サッカーの世界に行く必要がありました」

イタイアへの旅路で最も苦労したことは?

ダルボエ「ガンビアを出た時からこの旅は困難を極めました。何が起こったのか…口にするのもためらわれます。何度も家に帰りたいと思いました。でも…できないんですよ。もう後戻りはできない。この旅は一方通行で、一度進んだらもう戻れない。それに帰る方がもっと危険でした。ぼくはリビアの収容所で拷問と虐待を受けました。イタリアに行く為のお金を払った相手が、彼らにそれを渡さなかったので、私たちはリビアで拘束されたのです。1日2個のパンだけを与えられました。ここから抜け出すために、家族から送金してもらったり、寄付を募ったり、釈放の資金を捻出しました。そして、ようやく、セネガル人やマリ人、スーダン人と一緒にシチリア行きの船に乗ることができたのです」

イタリアに到着した時、苦難は去ったと感じたのでしょうか?それともこれからが大変なのだと思いましたか?

ダルボエ「イタリアに到着して、ぼくは何回も何回も神に感謝しました。この旅で体験したことよりも悪いことはもうないと思いました。そして、まずは学校に通い、サッカーで成功する方法を探すか、でなければ就職しようと考えました。でも1年後にはぼくの才能に気が付いてくれたサッカー関係者と出会えたのです」

そして、その才能があなたをローマに呼び、そしてモウリーニョ監督の指導を受けることに繋がった。

ダルボエ「ええ、本当に信じられませんでした。彼がローマの監督に就任すると聞いた時はまるで夢のようで震えました。自分に言い聞かせましたよ。「エブリマ、落ち着け。ガンビアでエル・クラシコをテレビで観ていたときに、ピッチサイドにいたあのモウリーニョのわけないだろ?」ってね。ほとんどの事は想像していましたが、ジョゼ・モウリーニョがぼくの監督になるなんて全く想像もできませんでした」

<了>


ローマはroma caresという人道支援のためのNPO法人を運営しており、ダルボエに限らず、サッカーを通じて、多くの社会的マイノリティを保護しています。今季もすでにいくつかのプロジェクトを実施しており、こういったピッチ外のローマの活動は、ぼくたちロマニスタにとっても大きな誇りだと感じています。ぼくは、roma caresやダルボエの体験談などから、みなさんが日常生活になにかフィードできることがあるのではないかと思っています。

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