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新ゼネラルマネージャー、チアゴ・ピント誕生(新スポーツディレクターは未定)

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一昨日くらい、ローマ系メディアの「数時間以内に新しいディレクターの発表あるみたいよ?」という流れがあり、テキサスからフリードキングループの法務チームもローマ入りしていたので、かなりワクついて(ワクワクしっぱなしな事)いたら、実際にはゼネラルマネージャー(以下GM)でした。ちょっと残念。GMはローマでは馴染みのないポストですが、現場の最高責任者で、あらゆる決定権を持っています。

新しいGMの名前はチアゴ・ピント。ベンフィカからやってきたポルトガル人で、彼の在籍した8年でベンフィカは5度のリーグタイトル、3度の準優勝、カップ戦を合わせると14ものトロフィーを獲得する輝かしい戦績を残しています。

ピントGM「8年過ごしたベンフィカを離れる決断は簡単ではなかった。しかし、精力的な新しいオーナーで再出発するローマを、私の専門分野で助けるという機会を断ることはできませんでした。ベンフィカの信頼とサポートを永遠に感謝し続けます。そして、私の大好きなサッカーでローマがさらなる飛躍を遂げるために、ダン会長、ライアン副会長が私にこのようなチャンスを与えてくれたことに感謝します」

会長がコメントを発表しています。
ダン会長「チアゴはワールドクラスの才能の持ち主だ。話し合う中で、彼の仕事への情熱、ポジティブな思考、そして何よりも勝利のメンタリティがローマと合致していると感じた。彼の驚くべき能力、才能を見極める力、育成、これらはイタリアとヨーロッパでタイトル争いを演じる準備をするローマにとって最適な人物だと言えるだろう」

チアゴ・ピントの到着により、これまでゼネラルマネージャーの代わりに獅子奮迅、一騎当千の働きをしていたグイド・フィエンガ社長が本来の仕事に戻ります。

フィエンガ社長「ピントはローマで選手の才能を伸ばすための優れた選択肢だと思う。彼はこれまでのキャリアで、ユースからトップチームへのアクティヴな経路を作り、スポーツ部門開発した手法を私たちは評価している」

今回、なぜゼネラルマネージャーの獲得に至ったのか。そもそもこの10年、2011年~2013年にフランコ・バルディーニ、2018年~2020年にマウロ・バルディッソーニが同職に就任していますが、ここがぼくがよく書く『ローマの歪な組織構造』で、2013年以降、ローマではスポーツディレクターがゼネラルマネージャー同等の権力を持つことがしばしばありました。パロッタ会長(当時)が、最高責任者であるバルディーニGMの意見よりもスポーツディレクターのサバティーニを寵愛したことで、権力争いに敗れた格好のバルディーニがクラブを去り、数年後にそのバルディーニがパロッタの個人アドバイザーとしてモンチを新たなディレクターに推したことで、次はサバティーニが辞任するという、選手やスタッフにとって集中出来ない状況が長らく続いていた。そのうちに、このポストはローマではあまり意味がなくなってしまいました。なぜならば、現場の最終決定がロンドンのバルディーニの決定を色濃く反映したものに変わるからです。(とトッティが言っていますが、正直どれくらい本当の話かは不明です)

この人事が指し示すのは、フリードキンはこの数ヶ月の滞在で、早急にゼネラルマネージャーをローマに連れてくる必要性を見抜いたということでしょう。しかも、フォンセカ監督と同じポルトガル人を選ぶ辺りは、監督の意見を吸い上げるスポーツディレクター的な仕事も担当すると思われます。この2か月でローマは大幅なストラクチャーの変化がありました。マウロ・バルディッソーニを始めとして、去った重要なポストのスタッフもいます。10日ほど前にリストラを行っている(行う)とも読んだので、ここでトリゴリアの膿を出し切る、もしくは血の入れ替えが完了するはずです。

またこの発表の二日前に、ローマはフランチェスコ・パストレッラという人物を中心とした『ローマ課』なる新しい部署を設立しました。フリードキンはローマブランドの拡大を目指していますが、そのためにはまず地元に根差したものであるべきという、ローマをアメリカ風味にコーティングしようとしたパロッタとは真逆の発想を持っています。フリードキンは一か月前に、パロッタが変更したローマのエンブレムを、ロマニスタの望む元のデザインに戻しました。彼らの到着はこれからの改革にも期待が持てると感じました。

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