アスリートが自身の人生を振り返るTHE PLAYERS’ TRIBUNEで、ローマのロレンツォ・ペッレグリーニが手記を書いているのでご紹介したいと思います。このシリーズでは過去にトッティ、ジェコが登場しており、ローマ速報でも読むことができます。選手の普段語られることのない側面を知れば、もっとローマやペッレグリーニが好きになること間違いなしです。ではどうぞ。
ぼくの心臓に異常がみつかったのは16歳のときだ。
ローマの下部組織では毎年メディカルチェックが行われていて、だいたいいつも1時間くらいで終わる感じだった。それが終わったらすぐにピッチに戻って走ってた。あの頃は力のあり余る男の子だったんだ。
でもその年はなぜか自分の体に異変があるんじゃないかって思った。ここ数週間疲れやすくなっていて、階段の上り下りで息が切れるようになっていたから。まったく普段じゃなかったからね。
3時間病院で検査をして、不整脈があることが判った。
不整脈そのものは誰にでも起こり得るけど、ぼくは通常の20倍の頻度で脈が乱れることがわかった。お医者さんにどうしたらいいか尋ねると、少なくとも6~8ヵ月はプレーをやめて経過を見るようにと言われたよ。
だから走ることをやめた。
トレーニングをやめた。
サッカーをやめた。
…そしてローマもなくなった。
とても辛かったよ。
ぼくにできるのは毎晩心の声に耳を傾けるだけ。文字通り、本当に心の声を聞こうとした。毎晩、心臓の音を聞いて不整脈の頻度を知ろうと思った。周囲が静まり返っているのを確認してからベッドに腰かけて、目を閉じて脈を数えたんだ。
ぼくは自分の専属医師になって、毎日健康診断を続けた。
そして、4ヵ月経ったある日、あっけなくそれはなくなっていた。医者からはあと2ヵ月は安静にするように言われていたからまったく予期していなかった。ぼくはどうかしちゃったのか?いいや、そうは思わなかった。なぜならその頃には自分の心拍を理解していたからだと思う。翌日測っても不整脈はなかった。3日経って、まだ不整脈はない。
エベレスト登頂のような苦しみもなく階段を上り下りできていた。それで4日目に両親に電話をして、再度検査をして欲しいと伝えた。結果は…ドクター・ペッレグリーニ氏と同じさ!
「あなたはもう元気です」
それは、ぼくが今まで聞いた中で最も甘い言葉だった。
トレーニングに復帰したとき、ぼくはむちゃくちゃやる気がみなぎっていた。永遠に走り回れるんじゃないかってくらいね。タックルに飛び込み、ゴール前へ全力で突っ込みたいだけだった。小さな国くらいならぼくひとりで侵略できそうな勢いだった。苦しみは去った。ぼくは戻ってきたんだ!
そして最初の復帰戦で何が起こったのか?
第5中足骨(指の付け根)を骨折したのさ。
信じられなかった。
まあぶっちゃけこれは不整脈よりは対処し易かったし、この4ヵ月はぼくに素晴らしいものを与えてくれた。現在は妻であり、二人の子供の母親であるベロニカと出会ったのもこのときだ。それにサッカーについて、自分のやりたいことについて、これまで以上に確信を持てた。ぼくは昔からこの競技に夢中だったんだ。だっておもちゃの車を買い与えられても、それを床に置いて蹴っていたんだからね。ローマの下部組織時代は、毎週末3試合プレーしていたんだよ。
でも不整脈の後、自分はサッカー選手になるために一分一秒を大切にしたいと誓った。後になって、ちきしょう、もっと頑張ればよかったなんて思いたくなかった。だって、サッカーのない人生がどんなものか知っていたのだから。
それにぼくはローマでプレーしていた。
それがどういう意味か判るかい?
チネチッタで育った子供にとってローマがどのような意味を持つのか?
それは仕事でも、趣味でも、キャリアでもない。ぼくにとってローマでプレーするということは…全てだ。5歳のころにはすでに父親とオリンピコにいた。トイレに行くときは他のチームのファンと口論になったりした。トッティのプレーだって追ってたさ。ファビオ・カペッロ監督のスクデットシーズンも部分的には観ていたんだよ。初めてスパイクを履いた時には、ロマニスタの集まるオリンピコのピッチに駆け出す夢を見ていた。
8歳のときに父親から「お前のプレーを見るためにローマからスカウトが来た」と教えてもらった。冗談だと思ったよ。でもトライアルを受けるように言われた。下部組織の一番下のカテゴリーで5ヵ月、トレーニングをさせてもらったよ。ぼくはみんなより1歳年下だった。トリゴリアが改装中で、ぼくは片道1時間かけてロンガリーナへ通った。学校が終わったらご飯を食べて、車の中で着替えて、着いたら車から飛び出してピッチに直行さ。ぼくにとってはオリンピコ以外で見られる最高の選手入場だった。
毎日全力で練習に取り組んだ。
毎日郵便受けをのぞいてローマからの手紙を待った。
ローマはトライアルの合否を手紙で送っていたからね。そして7月のある日、ぼくにもその手紙が届いた。父親はぼくに封を開けるように言ったよ。父親は内容を知っていたのか?そうだね、父は知っていた。でもぼくは知らなかったんだよ。
そして、手紙を読んだとき、ぼくがどんな気持ちだったかを説明するのは難しい。まるで映画のような一日になったんだ。その映画ではぼくが主人公で、とんでもない夢が全部実現していた。
もちろんそのとき、ぼくがローマでどんな旅路を歩むのかなんて想像もできなかったよ。
<了>
Roma Is Roma by Lorenzo Pellegrini | The Players’ Tribune (theplayerstribune.com)
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