ロングインタビュー:アレッサンドロ・フロレンツィ「週末に遊びに行けなくても気にしなかった」

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これは2015年12月のインタビューで、旧ローマ速報で掲載したものです。この頃、まさか4年後にトッティもデ・ロッシもいなくなるなんて思いもしませんでしたが、こういったエマージェンシーで人はより速い速度で成長するものかもしれませんよ。なのでフロレンツィの成長というか、進化に期待したい。新キャプテンのキャリア、哲学を今一度理解して、この夏もローマに夢中でいたい!

Alessandro-Florenzi-Roma

――まずは幼少期の話をしましょう。どんな子供だったのでしょう?

フロレンツィ「幸せな子供だったね。両親と兄に愛されて育ったよ。ヴィリニアというローマ郊外の街で暮らしていたんだ。その頃の記憶は・・・なんといってもサッカー!いつだって足元にボールがあれば最高にハッピーだったからさ」

――ローマを知ったのは何歳?

フロレンツィ「4,5歳くらいかな?そのくらいに父と一緒にテレビで試合を見たりして、サッカーのルールとか、そもそもそれが何なのかとか、あと赤と黄色のチームを覚え始めたりしたよ」

――ご家族もサッカーを?

フロレンツィ「うちはサッカー家族だよ。父は実際にプレーしていたんだ。トップレヴェルじゃなかったけどプロモジオーネ(6部)のクラブに所属していた。兄もカッシーノでプレーしていたんだ。もう止めちゃったけどね」

――ところで、あなたをラツィアーレにしようとする人たちがいたのだとか?

フロレンツィ「フフ、そうだね(笑)。友人がそうしようと試みた。そいつの名前もアレッサンドロで、いつも一緒に学校に行ってた。父親は既にぼくにロマニスタ教育を施していたけど、アレッサンドロはそのぼくを改宗しようとしたのさ。一日中一緒にいたからね、正直揺れたよ(笑)そんなある日、父はぼくをオリンピコに連れて行った。5歳か6歳か、そこで初めて本物のローマを観たんだ。試合は覚えてないけど、それ以外は覚えてる。スタジアムの人々、選手たち、緑色のピッチ。それで決まりさ」

――初めてボールに触れたのは?

フロレンツィ「1歳半。すぐに夢中になったよ。庭がなかったから、家の中でボールを蹴ってた。母だけは喜ばしくなかっただろうね。部屋がめちゃくちゃになるんだからさ」

――あなたが学校のグラウンドで真似した選手は誰でしたか?

フロレンツィ「この街で暮らしていれば、フランチェスコ・トッティは避けて通れない最も有名な選手だよ。ローマがスクデットを手にした2001年はまだ10歳で、その後ちゃんとサッカーを学び始めるとセスク・ファブレガスに夢中になった」

――最初に入ったチームはどこでしたか?

フロレンツィ「Axaというスポーツクラブ。父がそこで以前プレーしていたし、母は施設のカフェで働いていて縁があったんだ」

――ポジションは?

フロレンツィ「いやぁ、ほんと幼い頃だから、ポジションなんてなかったよ。でも、なんとなくはフォワード寄りではあったかな。前線に3人なら左右どちらかにいたと思う」

――その頃から周囲より上手かった?

フロレンツィ「そうだね。初めて試合に出て、みんなでボールを追いかけていたとき、自分は競技的にも技術面でもとても良いと感じた」

――ローマのユースにはどうやって入ったのですか?

フロレンツィ「まず9歳でロディジャーニに入った。当時ローマでは3番目に大きなセリエCのクラブだった。それから2年後、ローマとラツィオの両方からオファーを受けた。ぼくは父に手を引かれてトリゴリアに行き、そこでユースの責任者だったブルーノ・コンティさんと会ったんだ。何を話したかは覚えていないけど、あのコンティさんがとても歓迎してくれたという事実は、ぼくがローマを選ぶには十分過ぎる理由になった」

――最初のテスト、もしくはトレーニングを覚えていますか?

フロレンツィ「トライアルはたいしてなかったけど、ファーストセッションは覚えてるよ。ぼくたちは街の南部ヴィア・マルコーニ近くのスタディオ・デッリ・エリカリプティにいた。エソルディエンティ(U-12)の2001-02シーズンで、初めてローマのユニフォームに袖を通して、ピッチサイドのコーチを見たときは正直かなり緊張したよ。まあそれも試合が始まるまでだけどね。そのあとは思いっきり楽しんでボールを追いかけたから」

――最初に見かけたスター選手は誰でしたか?

フロレンツィ「ユースアカデミーって、全員がトリゴリアでトレーニングできるわけじゃないから、トップチームの選手に会うのは大変な事さ。でもぼくは幸運にも2002-03シーズンにオリンピコでボールボーイをしていたから、そこで本物のフランチェスコ・トッティを見ることができたんだ。見上げたトッティはとても大きかったよ。ぼくが緊張しているのを察して言葉を掛けてくれた。それで嘘みたいにリラックスしたのを覚えてるんだ」

――実はその頃、すでにデ・ロッシとも会っているのだとか?

フロレンツィ「そうそう。しかもトリゴリアじゃなくてビーチなんだよ!ぼくはオスティアにいて、ダニエレも偶然そこにいた。彼は実家がオスティアだからね。お父さんのアルベルトさんもいたね。アルベルトさんはご存知の通りプリマの監督で、当時ぼくをプリマのトレーニングに呼ぼうとしてくれていた。だから挨拶させてもらったんだよ。次にダニエレと会うのは数年後の話。再会してすぐに意気投合したよ。もちろんフランチェスコともね」

――ローマがスクデットを獲得した時あなたはまだ10歳でしたが、当時の雰囲気を覚えていますか?

フロレンツィ「パルマとのラストゲームは自宅で観戦していた。全てを鮮明に覚えている。その直後のお祭り騒ぎも忘れられないね。街全体が荒れ狂ったようだった。翌週のサーカス・マキシマム(チルコ・マッシモ)のパーティも凄かった」

――ローマのユースには、多くの若者がやってきますが、同時に翌年の夏には出ていきます。自分自身がそうなると感じた事はありますか?

フロレンツィ「時々考えたりもしたよ。実際にローマを去った仲間を見てきたけど・・・。ぼくたちを助けてくれる二つの重要なものがある。それは良い家族と強い精神。これは同時に基本的なものでもあるね。より強い人間にならなきゃいけないし、自分の価値を理解してくれる周囲のサポートも必要だ。その点では、ぼくは恵まれていたと思う」

――プロになるまでに多くの浮き沈みを経験していると思います。辛い時期も体験したでしょう?

フロレンツィ「そうだね・・・。ダリオ・スクデッリ監督のジョヴァニッシミ(U-15)ではほとんどレギュラーでプレーできなかったよ。シーズンの最後にアンドレア・ストラマッチョーニ監督(元インテル、ウディネーゼの監督)が就任して、それで状況が変わった。翌年、ストラマッチョーニ監督はアッリエヴィ(U-17)の監督になって、ぼくも一緒に昇格したんだ」

――逆にユースで最高の経験は?

フロレンツィ「2011年のプリマヴェーラのスクデットだろうね。当時キャプテンだったし、最高の経験をさせてもらったよ」

――プロサッカー選手になるには相当の犠牲が必要です。多感な時期に友人たちと一緒にいられなかったと思いますが大変でしたか?

フロレンツィ「週末に友達と出歩けられないことを気にしたことはないんだ。なぜって、サッカーを一生の仕事にしようって真剣に考えていたから。一度だけ凄く悲しかった記憶がある。ある日友達から遊びの誘いがあったんだ。ところが、タイミング悪くプリマで5人がプレー出来ない状況だった。ぼくは遊びに行きたかったんだけど、父は何かあるとチームに迷惑がかかるからって断固として家から出してくれなかった。何度も抵抗したけど絶対に行かせなかった。頭では父が正しいと判っていながらもあれは本当に辛かったよ。でも数回は遊びに出かけたけどね!」

――どの瞬間にプロになれると感じましたか?

フロレンツィ「スクデットを獲得して、クロトーネでレンタルを終えて、ぼくは自分に言った。「よしいける、ぼくはプロになるんだ」って。自分でも気がついていないうちに、何かが頭のなかで浮かび上がり、何かを感じ始めて、そして自分が正しい道を進んでいると理解する。そうしてサッカーで生きていくんだって気がつけるんだ」

――始めてプロとしてローマと契約した日を覚えていますか?ご両親はとても喜んだでしょう?

フロレンツィ「プリマに昇格した段階でプロ契約をするんだけど、ぼくがローマに来てから実に10年が経っていた。父と一緒にトリゴリアに行くと、コンティさんが出迎えてくれた。それは10年前と同じ光景だった。ぼくはとても幸せで両親を誇りに感じていた。世界で一番好きなサッカーを続けて、大きなものを成し遂げた事に気がついたんだ」

――トップデビューの思い出はありますか?

フロレンツィ「2011年5月、オリンピコのサンプドリア戦だね。トッティと交代で投入されたんだけど、微笑んでくれたおかげでリラックスしてピッチに入れたんだよ。3分で試合は終わったけど、とても素晴らしい気持ちだった。永遠に忘れられない思い出だよ」

――フランチェスコ・トッティやダニエレ・デ・ロッシはあなたにとってどのような存在でしたか?

フロレンツィ「重要度とかじゃなくて、ここでは絶対的に欠かせない存在なんだ。ぼくを最も助けてくれたのがその2人で、AからZまで、特にピッチで見せるベきアティチュードにも多くのアドヴァイスをしてくれた」

――2人から何を学びましたか?

フロレンツィ「トッティはなにかを教えてくれるだけの存在じゃないんだ。彼を見て何かを学ぶべき人物さ。デ・ロッシからは勝利への欲求、闘争心、戦術眼などを学んだ」

――地元のチームでプレーするのはまた独特のプレッシャーなのでしょうか?

フロレンツィ「いつも言うけど、この街で生まれたものにとってローマでプレー出来るのは誇りだ。同時に大きな責任が伴う。そこで重圧やプライドのバランスを見つけなきゃいけない」

――デビューして人生は変わりましたか?今後どのように名声と付き合うのでしょう?

フロレンツィ「変わっていないと言ったら嘘になる。でも、これまで家族がぼくに教えてくれていたように、謙虚な姿勢でいたい。ぼくがイタリアだけでなく、国外でも認知されているのであれば、それは自分が正しい道を歩んでいるサインだと受け取るべきだと思う。そして、子供たちの正しい規範になりたいね」

――ところでクロトーネに移籍した時、もうローマに戻れないと考えたりはしましたか?

フロレンツィ「いいや、それは一度もなかった。シーズン通じてぼくはこう考えていた。よおし、自分に何が出来るかローマに見せてやるんだって。それだけを考えてずっとクロトーネで全力を尽くそうと努力し続けた。幸いにも結果が出せて、ジャッロロッシはぼくの存在を思い出してくれたってワケ」

――ある意味、あなたはそのとき本当にローマに求められて復帰したわけです。

フロレンツィ「とても満足したよ。ローマに帰るのはぼくにとってはちょっとした復讐だったから。確かに、ぼくはただのプリマヴェーラで、フロントは必要だと思っていなかったのだろうけど、それ以上にクロトーネの1年は重要なものになった。はじめて家を出て、サッカー選手として、また人として大きく成長できたのだからね」

――それから3年、何が変わったのでしょうか?

フロレンツィ「何も変わらないよ。3年前より有名にはなったかもしれないけど同じままさ。昔と同じ価値観を持ち、同じ謙虚さで、家族との関係も変わらずに、ずっと同じ彼女と付き合い続けて7月に入籍したよ」

――最後にひとつお聞かせ下さい。フロレンツィに憧れてローマを目指す子供たちにアドヴァイスを送るとしたら、それはどのようなものでしょうか?

フロレンツィ「まずは謙虚でいること。どんなビッグマッチでも常に地に足をつけて謙虚でいないきゃいけないよ。ふたつめは・・・これはかなり難しいけど、夢を実現する唯一の方法は、何かを犠牲にするという事。これは自分自身でなければ出来ないんだ。最後は、サッカーが楽しいって絶対に忘れない事さ!」


フロレンツィのポジションは?

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コメント

  1. M より:

    WBが一番適正が高いと思っています。攻撃力は何処でも発揮されると思いますが、彼の読みやバランス感覚の良さで行われる守備が一番ハマるポディションだと思っています。コンテが求めるのもその適正あってのことではないかと。

    彼は代表で16番背負っているんですよ。デ・ロッシが認めた男の真価を見せて欲しい。後半戦の彼はかなり輝きを取り戻したように見えました。トッティも言及の必要すらないだろってことだったかも知れないですし。まぁ、なさそうだけど、そうだったらいいなぁ……w

    • 如月/kisaragi 如月/kisaragi より:

      Mさん
      まあこの頃とはトッティとの関係も違うんでしょうねw
      ただトッティやデロッシみたいに、満員のスタジアムで祝福されて引退したいという強烈な印象は植え付けられたでしょうね。

  2. シック覚醒するよ より:

    如月さんお疲れ様です。
    フロレンツィの適正ポジションは消去法でサイドハーフを選択しました。
    本当の適正は3バックの時のウイングバックだと思っております。
    デビューより見てきてウイングをやるにはフィジカルと決定力が足りず、サイドバックをやるには身長と守備力が足りないと言う印象です。
    なので移籍の噂のあるコンテの戦術に非常に合うと思っておりますが出て行かないで欲しいですね。
    それと注文があるならばキャプテンシーがかなり不足してると思うのでもっと発揮して欲しいです。

    • 如月/kisaragi 如月/kisaragi より:

      シック覚醒するよさん
      帯に短したすきに長しといった足りなさを感じるのがフロレンツィですけど、その足りなさって本当はプレーじゃなくて、仰る通りキャプテンシーの欠落に起因してるんですよね。それがどう変わっていくのか、そこも凄く楽しみです。

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