ディフランチェスコ監督「デ・ロッシはパロッタ会長に電話をしてくれた」

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ぼくはロッカールームを失った。

これは、ディフランチェスコ監督がパロッタ会長に辞意を伝えたときの言葉だけれど、この人の男気は、その後クラブ批判どころか、一切メディアに語らずにロマニスタのバッシングを甘んじて受け入れたことにある。この感覚は日本人の我々には理解できる。現在EDFは英語を学び、プレミアリーグ初挑戦の準備をはじめた。そして、気持ちの整理がつき、ローマ時代についても話し始めるようになった。

ディフランチェスコ監督「ストロートマンは並外れた選手だった。彼が移籍を望んたときに、なぜ引き止める為にもっと本気で戦えなかったのか後悔している。ストロートマンがいなくなって、チームは一貫性と個性を失ってしまった。ナインゴランの放出については、これは選手も含めた全員の理解だった。昨年夏、ぼくはラジャをサンプに呼びたいと思っていたけど、彼は自分の心に従いカリアリに移籍したね。資金難?ぼくの時代には大きな売却があった。サラーとアリソンだ。彼らを失って、チームを再編するのは本当に困難だった。モンチとぼくにはいくつかの意見の相違があった。でもそれはどこの家庭でもあるようなもので、基本的にはいつも同じ目標を見ていたと思う。初年度はジェコがチェルシーに移籍する可能性もあり、クラブは混乱していた。ウンデルやクライフェルトはまだ成熟した選手とは言えず、その状況で特定の選手に合わせて戦術の変更を余儀なくされた。パストーレの購入は戦術的な選択ミスか?いいや、誰にも責任は負わせたくない。ローマに到着したとき、彼の問題が怪我だと判った。パストーレのぼくに対する批判は読んだよ。確かにぼくたちは良い関係ではなかったけれど、それでも彼を恨む気持ちはないんだ。彼をプレーさせなかったのは、クオリティが理由ではないからだ。シックの購入はリスクだったのか?4-3-3で彼は悪戦苦闘しただろう。私は彼をセンターフォワードかセカンドトップだと思っていたから、本当ならばゴールに近い位置でプレーさせたかった。しかし、彼は故障した状態でローマにやって来て、更にはそのポジションにはエディン・ジェコがいた。コラロフにも共通する話だが、彼らは年間60試合のうち55試合でハイレベルなパフォーマンスをしていたんだ。いよいよ、ぼくの更迭が決まりそうなとき、何人かの選手が直接パロッタ会長に直談判してくれた。デ・ロッシはその1人だった。正直言うと、後任のラニエリさんを選んだのがトッティだったので、フランチェスコとは少し距離を感じていた。しかし、ラニエリさんを選ぶのが当時の彼の仕事で、彼は常にローマを考えていたんだよ。ぼくたちは周囲が邪推するような関係ではない。フランチェスコには、選手たちの気持ちをぼくに伝える力が備わっていた。彼はローマのロッカールームを知り尽くし、選手のクオリティを見分ける力を持っていた。そしてなにより、困難な時にユーモアで周囲を笑顔にさせる力があった」

これだけ読むとトッティってディレクター向きなんじゃないかと思ってしまいます。パロッタ会長が誰のアドバイスを受けてディフランチェスコ監督を更迭しようと思ったのか?そして、それを止めようとしたダニエレはその後どうなったのか?これらは永遠のミステリーとしてぼくの中に残り続けるでしょうね。

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